平成24年  平成23年     平成22年  花のお江戸猫旅館 
  J.D.A. 

不正選挙裁判
マリカ日記 

ここは平成25年 

関係ない方は読まないで下さい!

これは人に読ませるためではなく、単に個人の記録として書いているので、奥深く、わからないような場所にある。
にもかかわらず、ここへ到達できる人がいるとは。
一体どうやってたどり着いたの。
 3月21日から
3月20日 水曜日 

毎日、植物や猫の世話をする時間ができて、本当に嬉しい。
あの狂乱の2か月は一体なんだったのだろう。
すべてを犠牲にして、不正選挙裁判に没頭した。
昼間の時間が自由に使える私は、勤め人の片手間にやっている他の原告3名と違い、連日の
書類作成や、裁判所通いと、文字通り、これに没頭したから、他の多くのことが犠牲になった。
さて、明日からは、また、写真入りの日記にしよう。
スタジオ日記は、最初の頃が、スタジオの工事がだんだんにできていく過程を残そうと思って
作った頁だったけれど、スタジオの工事が済んで、寒くなり、植物が枯れた時点で、写真も撮らなく
なり、写真入りのスタジオ日誌をつけている意味がなくなったから、やめてしまった。
しかも、不正選挙裁判日誌もあり、公式の経緯頁もつくらないといけなかったため、そんなに
何種類もの日記が不可能になった。
3月19日 火曜日 

ここらへん、なにか朝鮮半島系資本のものが、ひとつ、またひとつと増えている。
ユニクロやビッグカメラ、マイバスケットや、靴直しのチェーン店などは、皆、一様にイオン系だから、
いろいろな店で買ったような気がしても、結局は同じところで買っているのと同じ。
だから、毎日のように三栄町の最後の八百屋へ行く。
1日にバナナ2本と、リンゴ2個、たまにイチゴやじゃがいも。
かんきつ類は、熊本の菊池村のなるみさんから直接送られるから、東京では買わない。
なるみさんから送られるかんきつ類は、東京で見たことがないものが多い。
国産レモンがあるのも嬉しい。大きくて本当にびっくり。
皮を薄く切って、はちみつに漬けておこう。
3月18日 月曜日 

4月になったら、こんなにゆっくりしていられることはないのだから、本当は、北海道かバンコクへ
行かないといけないのだけれど、着物を普段から来ていたから、シルクのスーツ作って来ようという
気にならなくて。
シルクのジャケットとか作るより、今箪笥の中にある、さまざまな着物をどんどん二部式にして、日々
着ることの方が大切な気がして。
3月17日 日曜日 

先週からまた教会へ行きはじめて、普段の生活が戻ったのは嬉しい。
今日は12時からお稽古が入っていたから、昼食会は出ずに、礼拝後、直行で帰る。
原付で5分というこの距離が嬉しい。
それにしても、新約聖書は文章が下手。
こんなもの読めない。
ちゃんとした文学者が、きちんとした日本語に書き換えられないものなのだろうか。
3月16日 土曜日 
3月15日 金曜日 
3月14日 木曜日 

アナスタシアちゃんが裏庭にいない。
大雨の中、どこに行ってしまったのだろう。
お腹がすいていないだろうか。
裁判が終わり、お庭いじりをする時間ができたから、毎日どんどんお庭がきれいになる。
また、写真でスタジオ日記始められる。
ずっと途切れてしまったから、今からキャッチアップできないかもしれない。
3月13日 水曜日

正午から新宿4丁目のネイルサロンの予約。
先週のその頃なんか、東京高裁の法廷で闘い、廊下に出るなり泣いていたけれど、あれが
まるで遠い日の出来事のような感じ。
ジェル・ネイルはよくロシア人のアンナにやってもらっていたけれど、色々なお道具を一式持って
よく台東区だか、横須賀くんだりから来てくれたものだ。
ペディキュアには、やはりフットバスなど必要だから、手足やるならサロンへ行くのがいい。
昨年は引越騒ぎで、このようなゆったりとした時間が持てなかった。
特に昨年の3月ときたら、毎週引越をして、あれこれ物を運んでいた。
こちらから、あちらへ。そしてまた、これをどこかへ。
何度軽トラックを借りたかわからない。
隣に乗っていただいた方は、のべ10名を下らない。
荷台に布団と共に人間を積んでしまったこともあるから、笑えない。
7時ごろ早々と一度寝て、9時に起きたら、効率よくいろいろなことができて、結局翌朝5時まで
仕事をしてしまった。
アナスタシアちゃんが、昼間逃亡し、夕方から夜にかけて台風になり、大雨が降ったのに、戻って
来なかった。 
3月12日 火曜日

晴天。
お洗濯ものを干した後、一路、府中へ。
以前、芸術の森劇場に、宝塚のショーを見に来て以来の、府中訪問。
あきる野の鍾乳洞へ行くときに通ることはあっても、立ち寄ることはなかった。
今日は、芸術劇場ではなくて、お目当ては、府中刑務所のショップ。
実にすばらしい商品がたくさん。
以前来たときは、イラク大使館の公用車で、ラシッド領事が連れて来てくれた。
収監されている「クウェート人の慰問」と言われたのに、囚人のJ氏と話したら、なんだ、イラク人
だった。
どうして大使館の人が嘘つくの、というか、大使館だから嘘つくのだと納得したのは、あれ、パパ・
ブッシュとベビー・ブッシュの二つの戦争の間のこと。遠い昔の思い出。
刑務所ショップは、新築したのだろうか、まるで普通のお店みたい。
きれいなお花の飾りなどもたくさんあり、受刑者がどのような気持ちでこれらの商品を
作っているのかと思いを馳せた。
備前焼、萩焼などをたくさん買い込む。
しかし、以前いた、信楽焼きの名人は出所したのだろう。
手に技を持った人が入所してくると、刑務所は大喜びだろう。
作業所は、良い師匠が指導しているのだと思う。
そうでないと、どうやって、あのような伝統工芸家具から、七宝焼きのブローチまで
作れるのか。
ただし、たまにプロのデザイナーにお手伝いさせないと、斬新なデザインができない。
まあ、ベーシックな商品を作っていればこれでよい。
民芸箪笥は本当に素敵。
場所の余裕があれば、買いたいけれど、ここは置く場所がない。
網走刑務所Tシャツは、売っていなかったが、前掛けはあった。
でも、酒屋さんがするような前掛けで、「網走刑務所」と書いてあるから、ジョークで身に着けるには
まわりがビビる可能性がある。
横浜刑務所の乾麺や、岡山刑務所の石鹸なども買ったが、全国に刑務所があるので、びっくり。
そんなにたくさん収監者がいるのか。
私などいつも犯罪者を娑婆で見ているし、その人たち、犯罪者として収監されるようは気配もない
現職の大臣たちや国会議員、官僚たちだから、どういう人が刑務所内にいて、どういう人が
外にいるのか、そこの区別があいまいだと実感。
実は中にいる人たちは、外にいる犯罪者と比べたら、軽犯罪だったりして。
こういうお話をしたら、滋賀県の彦根城若殿がこんなコメントくれた:
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 猫旅館女将様の刑務所ショップのお品について興味深く思いました。
丹精こめて作られているんでしょうね。
これも罪を犯した方のひとつの償い方として、 集中した作業をされているのでしょうか。
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刑務所の後、府中航空隊の横を通り(ゼロ戦みたいのが見えた)、府中の森美術館で、江戸時代の
「かわいい」絵を見た。
実に面白い着眼点。
そうか、古代の絵には「かわいい」という概念がないのか。
生活、精神の余裕のある社会でないと、「かわいい」という感覚はないのかも。
現代でも言える。
精神的に余裕のない人は、かわいいものを見ても「かわいい」とか感じない。

深大寺方面へ向かい、世にもおいしい深大寺そばを食べて、三鷹街道から甲州街道へ出て
戻ってきた。途中、植物をたくさん買い込んだ。
次回は、石屋にも寄って、小さな石灯籠を買いたい。
3月11日 
3月10日 
3月9日 
3月8日
3月7日
3月6日 
3月5日 金曜日 
3月4日 金曜日
 
3月3日 金曜日
 
3月2日 金曜日 
3月1日 金曜日
2月28日 木曜日

素晴らしい日本晴れ。
確実に春が近づいている。
夕方から、不正選挙裁判の弁護士事務所へ行った。
 

ところで、先週の土曜日の午後、東急ハンズ新宿店で怪我をした頭だが、
かなり治ってきたとはいえ、触るとまだ痛い。
これでは、明日、美容院へ行ったら、いつものヘッドマッサージはやってもらえない。
2月27日 水曜日 

フランス人のマリーとお昼ごはんをしんみち通りの中華屋で。
笑顔が実に美しい。
人生で楽しいことがたくさんある人の表情を見ていると、こちらも楽しくなる。
こういう人は、神様からいただいた美しい心を持っている。
帰りに、三栄町最後の個人商店、果物屋で、りんご、バナナ、かんきつ類を買った。
地元の経済を救うために、毎日少しづつでも、地元の個人商店で買う。
そうしないと、四ツ谷は元の人々がいなくなり、だめになる。
 2月26日 火曜日

隠密半蔵(と私が呼んでいる横浜市の社長)さんのような自由な生き方は素敵だと思う。
毎日あくせく働かなくても、経済的基盤があるから、自由にコシミズ先生のおっかけをして、
全国を旅行している。
私もかなり、自由な時間をとれるようになったけれど、でも、その貴重な時間を執筆をしたり、
自分の教養を深めるための時間に使えないで、今は、不正選挙裁判なんかやっている。
3月6日の口頭弁論が終わったら、いいかげん、執筆を始めよう。
2月25日 月曜日

カンボジア生まれで、今はニュージーランド国籍の人と、ドイツ人を連れて、しんみち通りの
中華屋でお昼を食べる。
カンボジア君は、朝鮮半島38度線の下を掘ったトンネルを、南側から北の方へ観光ツアー
として、くぐっていったとのこと。
国境線へも行って、北朝鮮兵士を見たと言っているけれど、東京にショッピングに来た
ドイツ人女子学生は、「私はそういう政治的なことが嫌いなのよね」と言っていた。
この子のドイツ人の友人4名は、昨年の夏、東京に一か月滞在して、さんざん原宿や
渋谷で、これでもかと、散在して、日本経済に貢献してくれた。
日本はお買いもの天国だから、ヨーロッパのお金持ちのお嬢さんたちは、どんどん来日して
思う存分、お買い物を楽しんでほしい。

2月24日 日曜日

最近、ぜんぜん教会へ行っていない。
すごく気になっているけれど、身体のことを考えると行かれない。
それほど疲労がたまってしまっていた。
修君が久しぶりに来て、猫が破いた障子を貼ってくれた。
今日は東京マラソンで、我らの自慢のドイツ人若手弁護士ファビアンが出場した。
ちゃんと最後まで走ったと、、見に行ったミカエラの報告。
おめでとう。
寒空の中、皇居の周りを走って練習していたから、よい成績を残したのだろう。
これで、明後日心おきなくドイツへ帰れるだろう。 
ところで、昨日、東急ハンズで襲撃にあった頭のこぶは、まだ痛く、一晩寝たら治るというもの
ではなかった。
今日は日曜日だから、明日、どこかの病院へ行ってみよう。
2月23日 土曜日 

東急ハンズの6階の売り場で、店員から、いきなり、頭に襲撃を受けて、あまりの痛さに床に
座り込んでしまい、しばらく立ち上がれなかった。
榎本滋という6階の主任が来て謝ったけれど、実行犯の荒川武志は、多分、このためだけに
雇われた工作員だろうから、当然名刺などないだろうと思ったら、案の定、入ったばかりなので
名刺がないとのこと。
忍者の手裏剣のように、水平に飛ばさない限り、頭を直撃したりするはずはない。
背後に誰がいるのだろう。
こぶのようになってしまった。
2月22日 金曜日 

お昼も晩御飯も、両方ともしんみち通りの中華屋で食べた。
中嶋さんに、事務所のパソコンにオフィス・パーソナルを入れてもらった。
やっとこれで、わざわざ2階のパソコンに行かなくても用事が足りるようになってよかった。
最近急に元気になってきたのは、多分、三輪治療院で、指圧を受けたせいだと思う。
具合の悪かったあの頃と大違い。
2月21日 木曜日 

ジェラルドと行って以来、久々に江戸博物館へ行った。
今回はマドモワゼル・ティレと
いつもながら素晴らしい。12時半に着いて、5時近くまで見ても、全部見られなかった。
ビデオなどを見ようと思ったら、どうでもいいところをどんどん抜かしながら、通り抜けて、ビデオの
前にしがみついていないといけない。
今度そのような日を1日つくろう。
しかし、このようなところは、一人で行かないと。
尾張徳川のお宝を展示していたけれど、これはすごい。
教養を身に着けさせるために、ありとあらゆるお稽古をさせたことは素晴らしい。
当時の世界一の都市、江戸は、日本人の誇り。
2月20日 水曜日 

全国で開催されるコシミズ講演会に、追っかけのように、毎回参加している方がいらして、お話を
聞いた。
いいな、そんなに時間が自由になるなんて。
私は1日時間が自由になる日ができたら、まず、益子へ行こう。
気に入った焼き物をたくさん買って来よう。
上手に梱包してもらって送ってもらおう。
自由になる日が2日あるのなら、北海道のアイヌ村へ行って、木彫りを買う。
2月19日 火曜日

朝、浮世絵美術館へ。
久々に、当たり前の安心して見られる浮世絵に接して安堵する。
ここのところ、奇をてらったような、血みどろの、大仰で、センセーショナルなものを見たから、やはり、
美人画は、落ち着いてみていられていい。
ここの美術館は外国人に人気なようで、日本人は3名しか見なかったが、他のお客は全員外国人
というのが、おもしろい。
地下の手ぬぐい屋で、いろいろ買ったが、雪が激しくなってきたので、急いで自転車を走らせた。
なんのことはない、四ツ谷に着いたら、もう、やんでしまった。
久々に、須賀町のお豆腐屋さんで、豆乳を飲み、手作り豆腐と油揚げを買い、美和治療院へ行き、
指圧を受ける。
もっと早く行くべきだった。こういう日が必要だった。
2月18日 月曜日

東京高裁へ行き、その後、明治通りと大久保通りの角にある、吉田餅菓子屋へ行き、お菓子を
しこたま仕入れ、母のところへ。
母の着物を二部式に切ったのを着て行ったら、褒められた。
お茶やお花をやっていたから、母はたくさん着物を持っていたのに、ここ数年、もう全く着ないから
こうして私が加工して来ている。
良いことだ。
最近は、いつも着物で通している。
と言っても、着物の下にズボンとブーツを履いているのだけれど。
しかも、着物の中にタートルネックを着ている。
それでいいのだと思う。
着物を単に防寒服として上に着ているだけだから、着物のきまりにしばられる必要はない。
2月17日 日曜日

最近は、身体が疲れて、日曜日の朝に、まったく教会へ行っていない。
気持ちは行きたいと思っているのだが、ぐったり休むしかできない。
それもこれも、不正裁判の選挙の陳述書などで忙しいせい。
5時にお稽古が終わったら、原告たちが集まって来て会議。
フランスのティレさんが、ボルドーワインを差し入れてくれた。
 2月16日 土曜日

今日到着したティレさんのいとこは、フランス人なのに、フランス政府の退去勧告を無視して、
日本人配偶者を見捨てず、仙台に踏みとどまり、日本人と苦楽を共にしてくれた。
このようなフランス人がいるとは、本当に感動的。
話を聞いていたら、涙が溢れてきたので、日本人を代表して、いとこさんのために、神楽坂でお寿司を
ご馳走するということになり、久々に神楽坂の店へ行く。
とても寒い日で、毛皮が必要なのに、着物の道行着で来てしまった。おやおや。
匂い袋屋で、箪笥用のを買ったので、マシューのところのぶりジッドに送ろう。
神楽坂は文化の高い町で、心がいきいきする。
美しいということにこだわり、多くのお金が回ると、町はどんどん魅力的になっていく。
荒川区なんかの人は、神楽坂に見物に来て、どうやったら自分の町が素敵になるか、研究すべき。、
今日は、ティレさん以外に、フランス人のグループが2組来たから、寝具の用意が大変だった。
あとで、発見したことだけれど、シーツや布団かばーそのものはあるけれど、掛け布団がぎりぎりで、
もし、三角部屋なんかに人が来たら、もう、掛け布団さえない。
買いに行った方がいいのかな。
 2月15日 金曜日

元バレエ、タップダンス、体操をやっていたニコルが来日。
踊りをやっていたから、無駄な肉がない。
すっと伸びた身体はレオタードがフィットして美しいだろう。
頭も小さいし、バランスがいい。
2月14日 木曜日  

早朝、寿司マンは、20キロ以上あるだろう、秋葉原のゲームソフトがたくさん詰まったトランクを
引きずって、帰国した。
寿司マンと一緒にごはんを食べに行かなかったなど、初めてのこと。
これまで4回来日したけれど、今回ほど短かったのも初めて。
2月13日 水曜日  
 2月12日 火曜日 
 2月11日 月曜日 
 2月10日 日曜日 

寿司マンはすぐ下の階にいるのに、全然合わない。
コーヒーくらいに呼んであげるべきなのかもしれないけれど、今回は私の体調がすぐれない
こともあり、まったく没交渉。
以前は、一緒にボートで川下りをしたり、元常磐ハワイアンセンターだった茨城県のなんとかと
いうところへ始発で行ったりしたことを思い出す。
2月9日 土曜日  

「この部屋、氷点下だったよ」なんて言うものだから、裏庭部屋へ行ってもらったら、喜んだ。
氷点下のはず、ないではないの。
さっそく秋葉原へお買いものへ行った。
山のようにゲームを買って来るのだろう。
それをヨーロッパで売るのは、かなり良いビジネスになるようだ。
2月8日 金曜日 

おやおや、スイスから寿司マンがやって来た。
一昨日メールが来て、「あさって行くよ」と言ったので、ジョークかと思ったら、本当に来た。
ジェラルドさんの大邸宅に住んでいる寿司マンが、スタジオの三角部屋なんかに滞在できるのか。
 2月7日 木曜日

遅くまでパソコンにかじりついているため、睡眠時間が足りない。
だから、具合が悪くなってしまったのだと思う。
朝晩、肩まで熱いお風呂に浸かっても治らない。
2月6日 水曜日 

20代の時からいつも相磯芹沢先生に弁護士をお願いしていたし、このご一家全員にお世話に
なっているので、別の弁護士の事務所を訪ねることがあるなどということは、まったく予期しなかった。
でも、行政裁判だから仕方ない。
うちの先生は、民事しかおやりにならないから、餅は餅屋だそうだ。
それにしても、往復タクシー代が5千円かかるところまで、毎回行くの辛い。
かといって、電車には乗れないし。
かなり咳がひどくなっている。
 2月5日 火曜日

あまりに具合が悪かったため、ヘアドライヤーひとつ買いに行かれず、みかちゃんに任せた。
フィンランドに引越して、身体が冷えないだろうか。
私なら氷点下のところは、無理だと思う。
 2月4日 月曜日

イギリス人合気道家の本職は、ブリティッシュ石油会社のドバイ駐在員。
この人の職業を考えると、不正選挙裁判原告の私のことを監視するために来たのではないかと
思えるのだけれど、考えすぎ。
結局、お稽古場の小さな三角部屋ではなく、ロフトにお部屋を替えた。正解。
ロフトは本当に暖かい。
地面からの冷えた空気が忍び込む、スタジオとは大違い。
私もロフトが大好き。特にあのお部屋。
2月3日 日曜日 

とても教会へ行かれる体力はなかったので、休んでいた。
午後のお稽古は、やっとのことでなんとかしたけれど、非常に辛かった。
2月2日 土曜日

熱があるのか、『マジックバード』を踊っていて、声が出ないから、数が数えられない。
あまりに調子が悪そうだったので、途中までしか作っていないのに、リハーサルから撤退。
 
2月1日 金曜日 

そりなちゃんの彼氏は、本当に素晴らしいdo it yourselfの人。
洗濯機の上の空間をうまく利用して、木の板を置いた。
水道のホースのところを上手に、のこぎりで切って、洗濯機のふたの上にピタリ載せている。
よくこんなこと考えたと思う。
しかも、私が、無造作に紙屑籠を置いていた場所に、天井までくるもの入れを置いて、うまく
収納に使っている。
いかに快適に住むかということをいつも考えている人ならではの、素敵な発想。
1月31日 木曜日 

イギリス人合気道家が来た。
二人のヨーロッパ人武道家に守られている。
これで、やっと安心できる。
今日は枕を高くして眠れる。
1月30日 水曜日 

ロシア人道場破りがやってきた。
ヨーロッパのいろいろな道場を放浪したようだ。
イタリア人の合気道の先生から、紹介を受けた。
日本の道場にも、何とか県(忘れた、どこか遠くだった。雪が降っているような)と、東京の
本部道場で
修行をする。
この人との共通語は、イタリア語しかない。
はっきり言って、冗談でイタリア語を交えて話すことはあっても、すべての会話をイタリア語で
済ます
というのは、人生ではじめてのことだろう。
イタリアへ行った時だって、人と行ったから、ある時はドイツ語で、ある時は英語で
済ませたけれど、
イタリアへ行った以上に、今、イタリアだ。
この人がまた、質問が多い。
しょっちゅう私の事務所のドアをノックする。
お陰で、忘れていたイタリア語の単語がどんどん蘇ってくる。よかった。
1月29日 火曜日 

花屋さんへ行って、かわいい植物を買う、心の余裕ができた。
1月28日 月曜日 

裁判所と法務局へ行って帰って、『エポールマン』踊るのは、本当に精神的にきついけれど、
これを
踊ると心が洗われるから、今の自分にはこういういい踊り踊ることが必要。
1月27日 日曜日 

今週もまた、教会へ行きそびれてしまった。
それは、不正選挙裁判の雑用が多いため。
外苑西通りを、マラソンの人々が走っていた。
きっと、シロウトマラソンだと思う。
本格的ではない走り方。
赤いチェックのスカートに、大きな胸のブラの上に、ブラウスを着て、茶髪のおかまも、
走っていたから、「おかま、頑張れ!」と声援を送ったら、愛嬌ふりまいて、手なんか振ってた。
このようなおかまバーの店員みたいなのが出るくらいだから、多分、誰でも出られるマラソン
大会なのだろう。
午後お稽古が終わったらすぐに、不正裁判の会の人が30人くらい人が来て、大忙し。
あの中華料理屋は本当においしい。
 1月26日 土曜日

榎の家の床に、クッションフロアを敷きに行った。
昔は、なんだこんなものと、思っていたけれど、使ってみると、以外に便利で、衝撃を吸収するから
今や、なくてはならないものになってしまった。
すべての家に畳以外は、くまなく敷いている。
1月25日 金曜日

大正6年に開業したという、明治通りの和菓子屋さんへ行ってきた。
よしだや餅菓子店という。
もしかして、あの、吉田屋餅菓子店と同じだろうか。
数年前、私は、あの遠距離をものともせずに、何度も足を運んで、いりもしないものを、
いくつも買い込んできたのを、記憶している。
三なんとかという、東京だか、埼玉だかわからないような、北の方にあるお店だが、
死にそうなおじいさんが、最後の力をふりしぼってお団子を作るのを見て、いたく感動した。
あのお店と関係しているのだろうか。
ところで、この明治通りのお店の女将の実家は、湯島天神より坂の上の方だとのことだが、
戦後のどさくさにまぎれて、高木という人が勝手に紐で、土地の境界線を作り、それから
今に至るまでずっと、不法に土地を占拠したと、怒っていた。
土地台帳が焼けてしまうと、そのようなことが起こるのだ。
戦前は、そこの役場が焼けてしまったら、もう、それで記録は残らないから、怖い。
今は、登記簿謄本がウェブで取れるわけだから、そのような問題は起きないだろう。
しかし、先に占拠した方が勝ち、その権利が未来永劫続くというのは、いかがなものか。

不正選挙裁判のため、多くの時間を取られる。
あんなに多くの人が投票したのに、どうして私たちだけこんなに忙しいのだろう。 
 1月24日 木曜日

調整のための1日。
こういう日がないと、日記の更新とか、『ジャズ・ダンス 誰が踊りをつないだか』(ルイジ・ブック)を
梱包送付したりという作業をする日がない。
それにしても、裁判官を糾弾している元裁判官がいるなんて、噂には聞いていたけれど、
そういう
裁判があるなんて、初めて知った。
法の番人ではなかったなんて。
私はどうすればよいのだろう。 
  1月23日 水曜日

明治通り沿いにある、大久保通りの角の和菓子屋へ立ち寄ったら、なんと、
大正時代からご商売を
なさっているとのこと。
建物自体は、新しく立て直したけれど、女将のご家族がずっと、守り伝える秘伝のお菓子。
嬉しい、こういうお店がある。
節分のお菓子も、あま、かわいらしいこと。
こういうお店に出会えて、今日は、ラッキーな日だった。
 1月22日 火曜日

母の家に、ふうばと集まる。
ロスのふさこさんが、作って下さった手作りのニットスカーフをいただいた。
ふうばは、本の出版のお礼を下さった。
そんなの予想もしていなかったから、びっくり。
まゆみさんは、『ジャズ・ダンス 誰が踊りをつないだか』を失くしてしまったみたい。
あんなに大きな本、どうやったら、狭い家の中でなくなるのだろう。
信じられない、ボケぶり。

このあいだディートマル君がドイツのおいしいお菓子たくさん下さったので、
今日は私がご馳走した。
中世ドイツの頃の名前の人なので、しっかりした伝統的なお家なのだと想像できる。
日本だと、右衛門直正、宗兵衛、忠左衛門とか、江戸時代みたいな名前なのかも。
日本では、新しい世代が、子供にキラキラネームをつける傾向があるけれど、軽い。
順とか、啓とか、健みたいな漢字一字名は、まるで、ホストクラブだし、ちょっとね。
漢字がいくつも連なる名前が好きだけれど、そういえば、玉川学園に、龍ノ信(あれ、
漢字違うかな)とか、源之助とか、結構、いい感じの名前の人たちがいた。
女の子もあまり短い名前だと、ホステス・クラブみたいだから、古典的な2,3字の
名前のほうがいい。
行ったのが遅かったから、お店で最後の客だった。
あの中華屋でそんなふうになったのは、初めて。夜中から雪が振るそうだ。
月21日 月曜日

高等裁判所から、戻って来ると、少しメールをチェックしただけで、もうお稽古の時間。
うーん、ここ数日、神楽坂の方、行っていない。
防衛庁のあちら側行かないと、おいしいパンが買えないから、明日には行きたい。
朝はお粥でいいけれど、昼は久しぶりにカイゼルドパリのおいしいパンにしたい。
コンビニやドンキホーテのパンは食べられない。
1月20日 日曜日

最近朝の4時や5時までまでいろいろやっていて、しかも今日は朝の8時半からレッスン担当
だから、疲れて教会へ行かれない。
二週つづけて休んでしまった。
旧約聖書読む、良い機会なのに。
普通の生活だと、読むこと一切ないから、週に一度、どこの章でもいいから、勉強するのは
大切だと思う。
夜はいつもの中華屋でラテン君と晩ご飯。
1月19日 土曜日 

午前中、母の家でふうばと3名でおひるごはんをいただいた。
芙紗子さんの手編みの品々が、カリフォルニアから届いていた。
二重にして首に巻くスカーフをして、その上からヘルメットを被ったら、風を防いで暖かい。
芙紗子さんの技術は本当にすごい。
その芸術性が、譲くんに受け継がれて、ホンダのシビックをデザインした。
譲くんの子供は、どんな芸術家になるのだろう。
白昼堂々と、統一教会だか、創価学会が母の家へ来て、実印を押させたようだ。
母を一人では置いておけない。
ハイエナの餌食になるだけ。
母のマンションくらい景色が良いところなど、都心にはないから、これが一番困ったこと。
戻って来て、ダンスのレッスンをして、夜まで不正選挙選挙の原告団の仕事をした。
1月18日 金曜日

東京芸術座の小山明子主演の「女のほまれ」を見に行った。
初日の前日に、ご主人の大島渚監督が亡くなったとのこと。
よく座長を務めた。
そのことについては、素晴らしいと思うのだが、高橋おでんが3名舞台に出てくると、やはり、
紛らわしい。
主演が小山明子とのことだが、29歳で絞首刑になった女性を描くのに、77歳の女優が
必要だろうか。
わかりにくくしているだけだと思う。
少女時代と、成人時代の二人だけでよく、それも、一度に一人づつ出てくればすむこと。
竹を使った舞台装飾だけはすごくよく、舞台に竹で結界をつくり、真四角の中で演じていたのは
非常に評価できる。
1月14日から1月17日までは、こちら
1月13日 日曜日

日曜日だというのに、朝の8時半から防衛省の薄緑のビルの屋上の航空自衛隊の軍用機が
朝の8時半に出動。

これは、あやしい。
一体何をしようとしているのだろうか。
これでもかという低空飛行だから、ものすごく、うるさい。
日曜日の朝9時前に、軍用機飛ばせるなと、防衛庁に抗議の電話を入れた方がいいのか。
住民の誰かがそれをしないと、今後もいい気になって曜日や時間構わず、飛び交うだろう。
普段は、朝礼を済ませてから、朝の9時半にご出勤で、午後4時には戻ってくる。
今日はしかも、1機ではない。
緊急の軍事活動を、この連休にしないといけないということなのだろうか。
これを書いている間にも、次々と出動していく。
どこかで暴動とか、戦争とか起きたのか。
米軍と合同訓練でも行うのか。

修君が大田区から自転車で、夕方5時に到着するというから、待っていたら、なんと、
7時になって
「これから出発します」とのメール。
ああ、お腹すいた。
ずるして、さっきトースト食べておいてよかった。
ごはんの後、祖母が生前、気に入って通いつめていた四ツ谷のお風呂「塩湯」に
入りに行こうという
計画だったけれど、時間的に大丈夫かしら。
祖母は、本塩町のお風呂は祖父に使わせて、自分は、ご近所の人と
おしゃべりしたいものだから、
塩湯へ行っていた。
私も何度か塩湯へ行ったけれど、広い洗い場に通常3,4人しか人がいないから、
どうやって経営
しているのだろうと心配になる。貧者の一灯で協力したい。
1月12日 土曜日

先日の不正選挙を不満に思っている人は、全国にたくさんいるようで、北海道から沖縄までの
有権者の有志というか、国士が、弁護団を組んで、行う。
訴追を阻止されるのを恐れて、訴状提出までは、決してネットで個人情報を明かさない。
訴状が提出されてしまえば、これは公文書だから、原告団の個々の氏名が公になる。
これをレジスタンスと言うのだろうか。
国民の目を政治に向けさせないように、テレビ(これは敵の武器のひとつだと私は捉えている)を
使い、国民の関心をスポーツや低級娯楽番組に向けさせているのは、『シオンの議定書』を
使って
かつてアシュケナージ・ユダヤがやったのと、同じ方法。
1月11日 金曜日

弁護士のグループ及び、未来の党から立候補していた藤島さんだけではなく、
一般の有権者たちも
弁護団を組んで、訴訟をしようとしてえることが判明。
今回の不正選挙に対しては、もっと全国で次々と訴訟が起こるのかと思ったら、意外なことに、
上記の
これらしかない。
結局、投票日を12月16日にしたため、「不服がある場合の申し立て期間は投票日から
30日以内」
という時、お正月をはさむと、実際に行動できる日が極端に少なくなるから、
異議申し立ての訴訟を
起こされないために、狡猾な野ブタが、12日16日に選挙を
決行させたのだと、ネットで多くの人が
指摘している。
1月10日 木曜日

洋服や、着物の裾など、直してもらったものを年末に取りに行かれなかったから、今日はじめて
取りに行く。
さらに、頼むものが数点。
最近は、左手親指のあかぎれがここ2週間ほど治らなく、針を持つと痛いので、小さな直しでも、
すべてお店に頼んでしまう。
何でも自分でやらずに、みんながお店に頼めば、このお店ももっと助かるだろうに。
こんなに安い料金で、しかも、お店の面積も広く、居住部分もかなりある。
どうやって台町坂に面した店舗兼住居で固定資産税を払っているのだろう。

ところで、リチャード・コシミズ氏の新刊『日本独立宣言』の感想を送ったら、掲載されていた:
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素晴らしい!
江戸時代にタイムスリップしたようなお話、大変興味深く拝読させていただきました。
国民ひとりひとりが、自分の系譜を探り、先祖を敬えば、日本の国をもっと
素晴らしいものにしていこうという気持ちになります。

わたしたち日本人には、つなげていかなければならない、精神や哲学、文化の流れがあります。
尊く清い志のご先祖様をお持ちのコシミズ先生だからこそ、今のご活躍があるのだと
実感しました。

『日本独立宣言』拝読させていただきました。
あふれ出るエネルギーに感動。
父親が息子に語るというかたちをとられていますが、父親がどれほど息子さんを愛して、
大切に思われているのかが伝わり、毎度のことながら、目頭が熱くなることがたびたびあります。

不特定多数の他人に言っているのではなく、世界で一番大切にしている人に向かって、
話している言葉なので、ものすごく迫力があるです。

言葉は、言霊といって、魂がこもりますから、息子さんに語ることで、愛を伝えているのです。
獄中にいたインド初代首相ネルーが、娘に自分の言いたいことを、書簡形式でまとめたものが、
『父が子に語る世界史』ですが、

それを読んだ娘は、後に、父の意思を継いで、インディラ・ガンジー首相になりました。
私の父は、「おとうさまが、あなたに伝えたいことは、すべてこの本に書いてあるので、
これをよく読んでおくように。アジア人の目から書かれた世界史を読まないと、
世界はわからない」と、常に言っておりました。

コシミズ先生の、父が子に語るシリーズは、いずれ、故ネルー首相の名著とともに、
アジアが世界に誇る歴史書となることでしょう。

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1月9日 水曜日

暖かい。
外の温度がどうであろうと、熱いか、寒いかは、個人の心意気と、身体次第。
朝風呂に入り、土鍋でつくったお粥を食べれば、身体はおのずと、温かい。
これが、起き抜けに、顔も洗わず、朝食抜きで、木枯らしの吹く道を歩いて駅へ急ぐ人にとっては、
今日は寒い日なのだろう。
暖かさの原因は、もうひとつある。
愛ちゃんが、黒い生にんにくを持ってきてくれた。
見かけがすごく悪いけれど、そのまま皮を剥いて食べて、お茶で口の中を整えると、なんと、体中に
力が沸いてくる。
ニンニクのパワーはすごい。
「最近寒いですね」などと言う人は、心が寒いのだろう。
生命力が弱い人は、多分寒いのだ。
ただし、頭の回転を思考可能に保つには、暖かすぎる部屋は駄目で、寒いくらいの部屋がいい。
脳ミソは液体だから、熱で暖まると役に立たない。
だから、猫には気の毒だけれど、しょっちゅうガスストーブを消している。
エアコン暖房は、お稽古中しかつけない。
1月8日 火曜日

結局、浮世絵のれんを何十枚買っただろうか。
数えていないから、わからないけれど、全部で70枚近くになるだろう。
質が一様ではないから、中には、結構ぺらぺらみたいなのもあり、閉口する。
歌麿、英司、写楽、広重、北斎など、これだけで、浮世絵美術館をHPにつくってしまおうかと
考えている。
本来横長の絵を、のれんの縦長に当てはめると、『日本橋』のように、かなり無理のあるものも
あるけれど、まあ、美人がなどは、さして、問題ない。
もっと多くの種類が出ることを望む次第。
1月7日 月曜日

スタジオの暖かい空気が事務所内に流れて来ないように、扉を閉めて(猫の手が入るくらい3センチ
だけ開けて)、なるべく13度から15度くらいを保つようにしている。
寒くて毛皮のコートを着ている方が、思考や勉強、執筆ははかどる。
頭を寒くさせておくことが、いかに大切かよくわかる。
1月6日 日曜日

教会でコヘレトを読む機会を得たのは、よかった。
教会へ行っていなかったら、いろいろ読む機会を逃していたと思う。
本当は、ドイツ文学をやっていた当時、毎週聖書を読む機会があったら、文学に対する理解が、
もっと違っていただろう。
でも、まあいい。
遅くなっても、やらないよりは。
1月5日 土曜日

式年遷宮で、すべての物を新しくする時は、古い物をどうするのだろう。
焼いてしまうのだろうか。
まだ使えるだろうに、もったいない。
でも、穢れを忌み嫌うから、そうかもしれない。
私の式年遷宮は、玄関のスノコだけれど、正面だけ新品にして、それを捨てず、勝手口や、
物干し場に置いている。
昨年は毎月1枚買ったようだ。
今年もこのペースでいいと思う。
一気に全部新しくしなくても、わからないくらい少しづつでいい。
1月4日 金曜日

毎日3冊づつ本を送付しようと思う。
これは重いので、郵便局へ持って行くのは、3冊が限界。
本局は、年末年始関係なく、24時間やっているので、なるべく牛込郵便局の時間外に行く。
ほとんど人がいないのが、ありがたい。
これが新宿西口の本局だと、常に私の前に10名は並んでいる。
そんなことしていられないから、やはり、牛込に限る。
1月3日 木曜日

今年は、1日に帰国する人がいたりで、お正月からまったく休む暇もなく、コマネズミのように掃除
洗濯に明け暮れてしまい、反省している。
このような過密スケジュールを立てたのは、自分の間違い。
それにしても、寒干というのは、気持ちがいい。
シーツやタオルがいい具合に乾く。
1月2日 水曜日 

恒例の丸子家の、お正月行事。
ここ60年くらい、ずっと継続しているようだ。
こんなに長く、毎年必ず同じに日同じ場所で集まるという伝統を持っている一族は、今、日本に
どれくらいあるのだろうか。
家長を中心に、みんなが集まる。
毎年、どんどん人が増えていく。
亡くなる人は少ない。
結婚して、子供ができるから、増える人数の方が多い。
ある時期、お正月に必ず旅行を入れていたようなことがあり、参加していなかったけれど、ここ10年
以上は、毎年必ず参加している。
今年は、振袖を着て行った。
昨年は良いことがあったから、お祝いの意味がある。
亘さんが亡くなったのは、わずか61歳。
遣り残したことが多くて、無念の死だっただろうから、父の意思を継いで、私が縄文人亘さんが
やりたかったことを、自分の仕事の中で実現していきたい。
1月1日 火曜日 

朝から元旦礼拝。
暖かくて、さわやかな朝。
新しい年が始まって、おめでとう。
昨年は、さんざんな選挙で終わったが、今年は絶対にこの国が良い方向へ進むように、積極的に
具体的に行動したい。
例年のごとく、ルーテル教会へ着物で行く。
私以外に2名着物の人がいた。
夕方、母のところへ夕食に行ったけれど、まったく人格が変わっているのには恐れ入った。
昨夜、年越しそばを食べた時と、違う性格になってしまった。
言葉のすべてが、非難と文句になっている。
そういう言語生活をしている人と、関わったからだろう。
信じられない。
言葉は言霊で、ひとことひとことに魂がこもるから、美しい言葉で人と接していないといけない。
猫でもいれば、このような症状にはならなかっただろうに。
ふー子ちゃんを、横浜に出したのは、やはりよくなかった。
 
マリカ日記平成23年     平成22年