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平成19年12月31日(月)       続き 平成20年1月1日

年越しソバのあと、靖国神社へ。
平成19年12月30日(日)

今年最後の主日礼拝。
子供がいないから、落ち着いて礼拝を満喫できる。
平成19年12月29日(土)

朝の5時までかかってもまだ仕事が終わらず、ついうとうとと横になると、9時には
すでにトルコ人が迎えに来た。
しばらくすると、フランソワ・コッペが成田からここへ直行し、みんなで温泉に行く。
現地でフィンランド組とも合流。
東ローマ帝国のコンスタンチノープルは、ローマ式の風呂から、トルコ式の蒸気風呂に以降して
いったけれど、偉大なお風呂文化のある国で育った人とお風呂の話をするのはおもしろい。
帰って来てフランス語のレッスン。
イタリア人があと3名到着して、おもしろいことになってきた。
映画の脚本家と、画廊経営者がいる。
私が自分でおもしろい人々を選んでいるわけではないのに、たまたま来る人がどうして、みんな
興味深い人たちなだろうと思っていたけれど、神様が選んで私のところへ送って下さるのだから、
みんなすごい人に決まっているのだ。
私が自分でやっていた頃は、男性ストリッパーや、ホステス、Dj,路上販売者、不法就労者、
どうやったら、こんな変な人ばかりよく集まったものだと思っていたけれど、仕事を神様にお任せ
するようになってから、素晴らしい人たちばかりが滞在してくれる。
しかも、その人たちが、新たな素敵なお友達を連れて来てくれるから、私は自分でいちいち滞在者を
捜す必要がなくなった。
私はいくらお礼を述べても足りないくらい神様によくしていただいている。
平成19年12月27日(木)

当方に大きなキリスト教国、「プレスター・ジョンの王国」があるという伝説があったそうだけれど、
ネストリウス派のお陰で、キリスト教は、アジア一帯に広がり、景教として日本にやってきたというあたりを
フランス語で書いたものをここ数日かかって、ケベック人に直してもらっている。
私は教科書で語学を習うより、自分が稚拙に書いたものを、母国語の人に添削してもらうのが一番
合っている。
文法での必要事項などは、その都度習うので、文法だけをまとめて習うわけではないから、その部分の
システムをまた忘れてしまうけれど、試験を受ける学生ではないからこれでいいのだと思う。
平成19年12月27日(木)

フランス語のレッスンの後、イタリア人と恵比寿へ行き、そこで、ロシア人やイラク人たち、そして、今夜
ベートーヴェンの「第九」を踊る面々と落ち合う。
恒例の永谷音楽事務所のパーティで、友人のイラク人の息子S君が、ウードを演奏した。
S君は、しばらく見ないうちに、すっかりアラブ人になっていた。
イラクのいろいろな部族の音楽を弾いていた。
私の後ろに座っているお父さんは、嬉しそうにその旋律を息子のウードより早く、口ざすんでいた。
このお父さんは、この瞬間をどれだけ長く待っていただろう。
学校をやめた不良の長髪、金髪の国籍不明の男の子を、正真正銘のアラブ人に仕立て上げた。
しかも、民族の誇りの楽器ウードを手にして聴衆の前で演奏している。
私はその演奏を聴いて涙が止まらなかった。
このイラク人のお父さんが今どれほど、幸福感を味わっているかと思うだけで泣けてきた。
思えば長い月日だった。
高校の卒業資格のないこの子を連れて、都庁の教育委員会や、文部省の管轄外の学校や塾などに
行き、日本語のわからないお父さんに代わってどれだけ交渉をしてきたことか。
イラク人であることを恥ずかしいことのように感じながら長く暮らしてきたこの子が、人々の前で
はっきりと、自分はイスラム教徒であると言った時、私は自分の耳を疑った。
だから、私はS君をイラク人だと紹介した。
ウードは西へ行きリュートになり、東へ行き琵琶になりましたと、メソポタミア人であることを
誇りに感じながら楽器の説明をしているS君は輝いていた。
その日に急に言ったのに、快く演奏させて下さった永谷社長や、本当に暖かい態度で
聴いたり質問したりして、S君を喜ばせながら客席に座っていた聴衆にも感謝している。
親子の愛と、聴衆の愛、そしてS君の心意気がひとつになった。
もっと上手い演奏家をいくらも見てきているけれど、あのS君がアラブ人として演奏したことが
私には何よりの贈り物だった。
神様はあの親子を見捨てなかった。
平成19年12月25日(火)

指圧へ行き、レッスンをして、倉庫へ行き、サンバの衣裳を出して、事務所まで運ぶ。
戻って来たところで、衣裳丁度引き取りとなり、グッド・タイミング。
以前、長島さんのために作ったバラエティ用の衣裳は、男性サンバ衣裳として十分に使えるから
倉庫であまり長く寝かせないで、たまに使った方がおもしろい。
久々に見たけれど、見るだけで笑いがこみ上げてくる衣裳だ。
平成19年12月25日(火)

はじめて十分に睡眠をとったので、快適な一日。
新ことを学ばない老人にとっての1日は短いけれど、多くを学ぶ若い人の1日は長いということを
聞いたけれど、同じ人にしか会わない人は老化が早いけれど、多くの人に接している人は老化しない
ということをつくづく感じる。
新しい人に会うのを面倒臭く思える老人は益々老化に拍車をかけ、新しい出会いを求めて心を磨く人は
若々しい精神を持ち続けるのだと思う。
火曜日はお役所が7時までやっているなどと、初めて知った。
行ってみると職員がずらりと窓口にいて、お客は私一人。
5時以降は人数を減らしてもいいのではと思う。
いっぱい雇うところが、日本なのかもしれない。
ネストリウス派のキリスト教教会など、東京にあるのだろうか。
行ってみたいものだ。
それとも、それは、歴史の中で消えてしまったものなのだろうか。
ローマ法王がキリスト生誕ミサを全世界に向けて行っているけれど、キリスト直系のエルサレム派は
1世紀に歴史から姿を消してしまったから、カトリックというのは、キリスト直系ではない。
イエス様が生まれたのも、12月25日ではない。
とりあえずそういうことになっているだけだから、一度、世界宗教会議を開催して、間違いを是正すべき
なおだと思う。
とりあえずと言いながら、千年も2千年も経って、一体どうするつもりだろう。
平成19年12月24日(月)

愛知の豊橋と、岐阜の大垣でサンタクロースのイベントをしているが、私はメンバーたちに任せて東京に残った。
日本を旅行している非常に裕福なキリスト教徒のインドネシア人が来て言うには、自分の妹は
ジャカルタでバレエを習っているとのこと。
バレエ教室には、イスラム教徒の娘たちも多く来ていて、踊っているという。信じられない。
ヒップホップ・ダンス教室にも来ているイスラム教徒の女の子はたくさんいて、腕や足を出して踊っているという。
宗教警察に処刑されないのかと質問すると、そういう女の子たちが踊りに来るクラブなどが、3ヶ月に一度
宗教警察の人によって燃やされるけれど、3ヶ月に1度くらいだから、もう慣れたと平気な顔をしている。
どうして平気なのだろう。
信じられない。
なぜ、何度も放火して罰せられないのかと質問すると、警察はそういうことはやってくれないとのこと。
では、何のための警察だと言いたくなる。
昔、玉川学園に、ハリー・サントソ・ムルトハルデイハルジョー君というインドネシア人がいた。
おとうさんが、スカルノ大統領の側近だったと聞いている。
あのご家族はどうなっているのだろう。
夕方6時のクリスマス・イブ音楽礼拝、200名くらい出席していたかもしれない、子供がいないから、
静かで助かった。
その後、40名くらいで市ヶ谷界隈をトーチライトを持って、数箇所で賛美歌を歌う。
日本キリスト教団の牛込教会や、カトリックの宣教師寮前でも歌った。
玉川学園で10年間同じ歌を歌っていたから、不思議なもので、アルトのパートがすぐに出てくる。
音楽や礼拝の時に、パート別に旋律を指導する玉川の音楽教育が今、役に立っている。
小原先生ありがとうございます。
一度戻り、熱いお風呂に入り、再度出直して、12時からの深夜礼拝に臨む。
平成19年12月23日(日)

ニューヨークへ行った元生徒の父兄からお便りが来る:
「こちらは寒くて12月に入ったとたん雪も多いです。
時々、ルイジ先生のスタジオでお世話になっています。
家が郊外なので土曜にしか時間がとれないのですが、
先生にもお弟子さん達にも、いつもあたたかく迎えていただき楽しくレッスンさせていただいております。
日本のチャコットや他のスタジオから、研修に来ているという先生にも何人かお会いしました。
日本人の先生はマリカ先生の御本やビデオを参考にしているそうです。
いろんなところで繋がっていきますね。
Tapの方は、12月14日にSymphony Spaceという立派な劇場で、
「Tappy Holidays !」というクリスマスショーに出演いたしました。
プロの方達はさすがですし、JazzのLive演奏もとても楽しめました。
17日にはチャペルコンサートでTAPのソロを自作自演。
クリスマス曲をJazzのアレンジで踊りました。
今日、ルイジスタジオにクリスマス前最後のレッスンに行ってきました。
フランシスは(ラテンとか)踊っている時以外はいたってクールに見えるのですが、
先生の日記を久しぶりに拝見したら、メールをされていたのですね。
ルイジ先生はお元気で、クリスマスと元日以外あまりお休みもなく教え続けて
いらっしゃいます。
Never Stop Movingですね」とのことで、良い訓練の機会を得てどんどん上達し、活躍する様がわかる。
それにつけても、種は正しいところに撒かれていないと実を結ばないのは、聖書の言うとおり。
ほとんどの小学生はニューヨークに引越してお稽古などできないから、こうはならない。
親のお金でお稽古できるうちに思い切り上達しておいてほしい。
自分のわずかなお金でお稽古している若い人の、上達のまあ遅いこと。


教会の後、サンタが来て、そのまま横浜市へサンタクロースの宅配便をする。
狭いタクシーの後部座席で、身長190センチ、胸囲、ウエスト、ヒップすべて110センチという体系の人に
着替えてもらうのは、本当に至難の業。
無事終わってお疲れ様。
明日はサンタの遠征。
平成19年12月22日(土)

身体が軽くなった。
中がきれいになった気がする。
平成19年12月21日(金)

新橋はオッサンの首都。
銀座はオバサンの首都。
原宿は中学生の首都。
渋谷は小学生の首都。
巣鴨はバアサンの首都。
大人は恵比寿、広尾という東京地図はおもしろい。
「六本木クラブ難民」(三才ブックス)に書いてある。

ユーリさんは今夜ロシア大使館で演奏するので、新幹線の切符を狸穴まで届ける。
昔はソ連大使館だったし、斜め向かいには、気の効いたロシア料理屋ボルガがあったけれど、今はない。
私はソ連の体操選手とバレエの踊り手に憧れていて、中学生の頃、狸穴の大使館の周りをわけもなく
歩き回ったことがある。
そんなところ歩いたところで、吊り輪で大車輪した金髪のボリスが出てくるわけないのに、目の前に
ボリスが来たら、ドープロイ・ウートロと言おうと、口の中で何度もつぶやいたのを思い出す。
あんなにきれいで完璧な容姿の人より高得点を出して金メダルを取った日本人がいたということは、
その日本人の技術はよほどすごいのだろう。
そんなことを思い出してしまったロシア大使館だった。
平成19年12月20日(木)

食中毒のため、来る人来る人に、布団の中で対応。
激しい痛み。
前回、食中毒になったのは、中国物産展で、スッポンの缶詰スープを買った時。
忘れもしない、あの夏の日。
私はまだ代々木5丁目に住んでいた。
飲んだ途端に激痛が走り、嘔吐を始め、必死の思いで救急車を呼ぶ。
死んだように運ばれて、胃を洗浄し、点滴。
入院していたのに、スリッパで勝手に外へ行き、タクシーを呼んで帰宅してしまったので、病院から
電話がかかってきても、居留守を使って出なかった。
言われることは決まっている。
治ったか治っていないかは、私がわかる、自分の身体だから。
こっちはそれのプロなのだから、余計な指示はしてほしくない。
そのまま踊りのリハーサルをして、地方の仕事へ行ってしまい、踊って温泉に入って帰ってきた。
病院へは後で人に行ってもらい、後始末をしてもらった。
「むっちゃんは、何でも自由に好きなことをしなさい。後始末はすべてお父様がしますから」
こういう教育方針の家庭で育ったから、こんな人間に育った。

さて、前回のスッポンと今回のタラでは、回復の方法が違う。
私は全身に痛みが走る中、無理に熱いお風呂に入った。
思い切りたくさん入浴剤を入れ、香水石鹸で洗い、冷水をかけ、また熱いお湯に浸かり、また冷水シャワー。
身体の体温をキープしたままで、数時間寝て、また、お風呂と冷水シャワー。
治ったかなと思って、朝、梅干と鉱水(字数が多く、外国語だからミネラル・ウォーターとは書かない)
を飲んだら、まだ胃が弱っていて、それも吐いてしまった。
寝ながら、衣裳の人や数日後の本番の出演者と打ち合わせをし、家賃を持って来た入居者に
領収書を出して、数日前のスイング・ダンスのビデオを見ているうちに、鉱水を飲んでも吐かなくなった。
蜂蜜を一匙、そして鉱水。
医者に行くには3時までに受付しないといけないけれど、とてもそれまでに起きられなかったので、
指圧に行き、全身をほぐす。
帰りにトンカツ屋で、エビフライ、クリームコロッケなどを買ってくる。
どうしてそんな油もの買ってくるのですかという避難がましい意見は無視し、千切りキャベツだけに
しようと思ったわりには、お粥を食べながらクリームコロッケと海老フライも口に運んでいた。
身体が欲していたのだ。
あたふたと、千駄ヶ谷へ美容院の予約に行く。
よくその距離を自転車でと思うけれど、行き先が美容院だと身体が動くものだ。
しかし、自転車がガタンとするたびに、胃に直接痛みが伝わる。
青い顔で美容院へ行き、一連のことをした後、帰る時には、元気になっていた。
美容院での飲み物も、緑茶を数杯にしたのがよかったし、何よりも数回のシャンプーが効いた。
前回、救急車、抗生物質、点滴で治した食中毒を、今回は、お風呂、指圧、美容院で治した。
古代ローマの温泉風呂屋は、病院でもあったわけで、指圧、美容院業務をした。
私は、ふと自分が一瞬古代ローマの風呂屋で回復させてもらった気がした。
そうか、そういうことだったのか。
お風呂文化の奥の深さ、そこから離れて医療が独立して発達し、人間がついていかれなくなったこと、
医療の弊害、お風呂や指圧、美容の計り知れない力、これらの素晴らしを私が身を持って認識するために、
神様は私にこの機会を与えて下さったのだと思う。
私は古代ローマのお風呂がカール大帝のアーヘンの温泉に残した歴史のエネルギーを身体いっぱいに
浴びてきたから、今回の食中毒を神様の御技と思える。
私の中に残された皇帝温泉を私は人に伝えないといけない。
この使命感を私に持たせたかったのだ。

友人のフランシス・ローチがニューヨークから2週間前に送ってくれたメールをなぜか開けずに,今夜開けたら、
ビデオのリンクがあった。
これを見たら、胃がが痛いのなんのという些細なことなど、途端に忘れさせ、私は感動に涙にくれた。
平成19年12月19日(水)

私は市ヶ谷駅を背にして靖国通りを行くのが好きなので、九段の法務局へ行くのは楽しい。
今日は両側に日の丸がずらり。
こんなにたくさん日の丸がある通りは日本中でこの通りだけだろうから、日本人としてうきうきする。
日の丸がフリーメーソンのしるしだなどと、よく見破った人がいるものだ。
長方形から気がつかないのだ。
正方形だとよくわかる。コンパスと直角定規がある。
日本がフリーメーソン国家であるということをこんなに堂々と世界に誇示して良いものなのか。


新宿2丁目のマルセイで買った魚にあたった。
ぜったいにタラがおかしい。
それを食べたイヌおちゃんも吐いたから。
他の子は魚を食べなかったから、誰も吐かなかった。
具合が悪すぎて、激痛に我慢できなくなり、踊れなくなった。
平成19年12月18日(火)

信じられないことに、昨夜夜中の1時に寝て、すぐに2時に起きて、3時に朝ごはんを食べて、そのまま
1日過ごしてしまった。
またやってしまった。
寝ないで1日生活したら、身体がもたないはずなのに、なぜか、元気が湧いてくるのは、化学では
説明がつかない。
お陰で、鮫洲の試験場での講習の時、一番前で眠ってしまった。
違反でしかも期限切れの人は2時間受けないといけない。
たまには切れる前に更新したいものだ。
しかもご丁寧に住民票を忘れたものだから、鮫洲を二度往復してしまった。
しかし、1回目は8時に現地に到着していたから、全部終わって戻って来てまだ2時半。
ところで、以前久しく行っていて、その後神楽坂にお寿司を食べに行くようになってからご無沙汰だった
新宿南口の寿司屋が、グレードアップして再開している。
はるかに良くなっているのは感心なこと。
おのぼりさんなどの一見さんは、お滝橋や大久保通り、それから新宿通りと靖国の間にあるような変な
回転寿司に行くけれど、地元民は、そういうところへ行かない。
ここの目立たないところでおいしものを静かに食べればたいから、あまり流行らないでほしい。
ところで、イラク国内でアラミア語部族の原始キリスト教徒たちのミサを行うのに、バチカンから司教が
行っている意味が先日わかった。
ずっと異端のレッテルを貼られ、しかし、イエス様と同じアラミア語を話すことに誇りを持つ
ネストリウス派が15世紀にカトリックと一緒になったのだそうだ。
それで、少しわかりかけてきた。
私はピューリタンに近いような潔癖のネストリウス派が肌に合っていて、それが日本に来たということは
非常に喜ばしことだと、かねがね思っていた。
フランシスコ・ザビエルが来たことは教科書に載っているのに、ネストリウスが来たことは無視されている。
その前の原始キリスト教エルサレム派に至っては、デマかつくり話扱い。
しかし、友人がなぜあのように敬虔なクリスチャンなのかやっとわかった。
この人は、とりあえずカトリックだと言っていても、実は、いまだに中身はネストリウス派なのだ。
旧教と新教しかないような分け方をするから、一応旧教に含まれてしまうけれど、その志そのものは
あのネストリウスのものなのだとしたら、これは猛烈に新教に近い。
三笠宮殿下が以前、そろそろ神道もキリスト教徒一緒になった方がいいのではと、ご提案なさったことが
あったそうだ。
どうしてその時点で、もっとこの件に関する議論が行われなかったのだろう。
それをやっておかなかったから、神道は国体神道という間違った方向へ進んでしまった。
今でも、神道とキリスト教の一体化を提唱なさる皇族がいらっしゃるのだろうか。
そこらへんのところが非常に知りたい。
こういう問題は、誰に聞けば答えがわかるのだろう。
平成19年12月17日(月)

赤坂プリンス五色殿での本番。
幅15メートルのステージを、羽根もない衣裳でどうやって埋めるのだろうと心配したけれど、8名の
ダンサーはうまくやってくれた。
9名の外国人と5名の日本人で練習したから、この踊りを踊れる人は14名いる。
こうして保険をかけておくことで、本番のいかなる状況にも対応できる。
結局、外国人6名、日本人2名という予想しない構成で上演したけれど、神様は、どのようにキャスティング
すれば、一番良い質の踊りを提供できるかおわかりだから、そのようにして下さった。
神様は私がその時々で最高の踊りをお客様に提供できるように、ちゃんと考えていて下さる。
昨日の教会の礼拝では、時差ぼけの寝不足の私は居眠りをしていたのに、それでも私に本日贈り物を
下さったとは、神様の懐の深さにただただ感動する。
神様が存在し、私を守っていて下さるのだと実感した1日だった。
私は今年の冬休みは聖書を学ぶことに使おうと思う。
平成19年12月16日(日)

久しぶりのルーテル市ヶ谷教会の礼拝。
今日は昨日仕入れておいた栗の甘露煮を数本持って行く。
多分これで60個くらいあるはずだから、足りるだろう。
いつも持って行っていた紀州のおいしい梅干がもうなくなってしまった。
まあ、たまに目先を変えるのもいいだろう。
私は留守にしていた2週間ほど礼拝に参加できなかったから、少しでもささやかな貢献をしないと。
聖誕祭の深夜礼拝に参加するために、地方の仕事を誰かに回さないといけない。
自分で何でもしてしまうと、自分本来のことがおろそかになるから、この際、雇用を拡大して、自分はなるべくやらないに限る。
定期的に教会へ通う前の私なら、地方の仕事でも、ほいほい出かけて行っただろう。
そして、衣裳を宅配で送り、帰りには宿泊して、温泉に入り、翌日ゆっくり観光をして、
おみやげいっぱい買って帰り、遊びに行ったのだかなんだかわからないことをしたに決まっている。
自分のことだから、自分が一番良く知っている。
でも、教会でその日、礼拝があるから、私はそちらに参加しようと思う。
神様は私の成長にきっと喜んで下さるだろう。
私の仕事を代わりにやることになった人も、喜んでいる。
フリーターにとって仕事のない日は、収入のない日なのだから、フリーターにはつとめて仕事を出すように
配慮しないといけない。

平成19年12月15日(土)

午前と夕方のレッスンの間に、ダンサーたちを集めてリハーサルをする。
金髪で細くて、きれいで、踊りが上手いという人が日本にいたらいいのに、そういう人は日本に
来ないで、世界の一流どころで仕事をしていて、それにあぶれた人が来日するから、そこそこの
顔ぶれになってしまう。
日本人で揃えた方がよほどいいレベルになるけれど、それだと商品にならないから、やはり、手間が
かかっても外国人に教えるしかない。
髪の毛の色は、金髪に近くなればなるほど商品価値が高まるのだから、黒髪を自慢にしたりしないで、
素直に金髪に染めてくれる方が、どれだけこちらはクライアントに対して顔が向けられるか。
髪が黒いと、踊りが重くなってしまうから、やはり、金髪が軽くていい。
でもいくら金髪でも、リズム音痴のへたくそは、省かないといけない。
こちらから解雇すると文句言われたり、泣かれたりしていやだから、自分から辞めてくれるのが一番
手っ取り早い。
必要人数より数人多く振付を練習してもらっているから、一人辞めても、痛くも痒くもない。
平成19年12月14日(金)

やっと身体が回復する。
外国にはウォッシュレットがないから、それなしだと、本当に辛い。
20年使っているから、なしだと、自分の健康が保てない。
毒素が身体にたまって、気分が悪くなる。
一生それを使用しないで他の国の人々は生活しているわけだから、さぞかし、体内に毒素が
蓄積されいることだろう。
日本人の寿命が長いのは、食べ物のせいだけではなく、多分ウォッシュレットの影響も大きいだろう。
留守の間に薬王寺の家にアメリカ人学生の二人組みが引越して来たようだ。
そこは、かつて国際的合気道ハウスだったのに、アメリカ・アパートメントになってしまった。
私としては、同じ国籍の人が一緒に生活するより、違った文化との出会いの場を提供したいと
考えている。
18歳と19歳の夏に、ウィーン大学の夏期講座の間、国際学生寮に生活して、様々な人々と
素晴らしい出会いをしたことが、私の人生で大きな転機になっていることを感じる。
もし、あの2夏の出会いがなかったら、私の人生はどれだけ味気ないものになっていただろう。
母国語は帰国するまで一切使う機会がなかったから19歳の夏の方が実りが大きかった。
語学力が向上したこともあるだろうし、留学斡旋業者を通さずに、自分で直接大学の事務局に手紙を
書いて、一番早くに申込、学生番号1番をもらったことを思い出すと、笑いがこみ上げてくる。
一生懸命だったのだなあ、あの時の19歳の私は。
時差ぼけで眠れないから、起きていろいろやっていたら朝の5時になってしまった。
平成19年12月13日(木)

今日、パリから帰って来た。
同じスカイチームでも、エールフランスはノースウェストより数段いい。
がら空きだったので、一人で3つの座席を占領して寝転びながら良い読書ができた。
マダム川田先生の「ルイ14世治下の女たち」は、ヴェルサイユを見てから読まないと、よく理解できない。
同じ本を80年代に読んだ時より、今の方が数段おもしろい。
当時もおもしろかったけれど、この本を理解する読み手の程度に応じて語りかける。
ムーランルージュやリドの音楽を聞きながら仕事をする。
1日失ったから、その分、やることが山積み。
平成19年12月12日(水)

朝、ホテルの食堂の一番早い客として朝食をとる。
朝7時前に入っていったのに、気を利かせて、出してくれた。
車やバスではなく、一般の電車にわずか8ユーロを出して乗ったことで、今まで見えないものが見えた。
北駅の渡って反対側のまあ寂しいこと。
知っていたら絶対に泊まらなかっただろうけれど、こういう立地条件のホテルがあるのかということが
わかって妙に納得。
私にいろいろなホテルを経験させるために、神様は今回、パリで4箇所、オランダで2箇所をご用意下さった。
同じところにいたら、見えなかっただろう。
星の数が違う様々なところに滞在することで見えてくるものがある。
空港では、ブーツについた金具の飾りが、行きも帰りも探知機に反応して鳴ってしまい、おやおや。
私は20代の頃から良いものを見すぎたから、思い切り変なものを見るのは新鮮。
15年かけて、少しづつ増やしていき、タンタンの冒険がこれで全部揃ったから、機会を見つけて読み直したい。
ソヴィエトのだけは、天然色でないのか。
絵も微妙に定まらない。
もしかして、初期の作品なのかもしれない。
アムステルダムの空港で買った2冊だけが残念なことに英語だけれど、あとはフランス語だから、
とても良い勉強になる。
心が洗われるようなすがすがしい好青年タンタンをよく創りだしたものだ。
平成19年12月11日(火)

昨夜ホテルのフロントでカルナヴァレ歴史博物館への生きかたを聞いたので、バスチーユに出発。
ベンジャミン・フランクリンがパリで行った数々の業績が展示されているという。
私はお風呂の近代ヨーロッパの歴史で、ベンジャミン・フランクリンが貢献している部分があるため、
なぜ雷の鳴る日に凧揚げをしたベンジャミン・フランクリンなのだろうと、疑問に思っていたから、
どうしても行ってみたかった。
バスチーユという言葉を聞くだけで、胸がいっぱいになる。
しかし、わかりにくい道のりだった。
通りの名前がセヴィニエ通り。
もしやという思いが脳裏をかすった。
そうだったのか、あの方はここに居住していらしたのか。
こんなにたくさん部屋があって、どうやって生活していたのだろう。
どの部屋をどういうふうに使用したのだろう。
ルーブルと違い、観光客がほとんどいなく、その代わり、学校の見学授業の生徒がいて、みんなが
一生懸命に展示品のスケッチをとっている姿を垣間見るのは、実に微笑ましかった。
日本の学校でも、美術館の見学をしばしば行っているのだろうか。
私は父が博物館協会の会員だったから、全国の博物館や美術館の無料券がいつも家にあり、
お稽古のない日や、父の授業のない日はしょっちゅう連れて行ってもらっていた。
子供の情操教育に、博物館がどれほど大きな影響を与えることだろう。
パリは政治家の名前を冠した通りが多くて、非常に政治的な街だという感じがしていたけれど、
セヴィニエ夫人の旧居のある通りを夫人の名前にしたのは、本当に嬉しい。
16世紀のルネッサンス様式の館で、それなりにおもしろかった。
学芸員が随分たくさんいて、見学者より多いのではないかと思われる部屋も多かった。

マレ地区は古いところと聞いていた。
ふと本屋に入ると、床が数百年前の敷石のままだった。
実に歩きにくい。床を張るでもなく、そのまま数百年使用しているその根性がすごい。
石畳だから、地面の寒さが伝わるということもないのかもしれないけれど、でも、石の下は直接
地面だから、夜などしんしんと冷えるのではないだろうか。
これと同じ造りの本屋がマーストリヒトにもあった。
もっとも、あちらは、使わなくなった教会をそのまま使用して本屋にしていた。
宗教改革で多くのカトリック教会が廃止に追いやられたのだろうと想像する。

ポンピドーセンターへ行ったら、火曜日のみが休みだった。
そうか、お風呂に惹かれてまた来てしまったけれど、教会で蝋燭を灯し、母の退院を願う。
ポンピドーセンターの反対側の向かいに、日本で言うホームセンターのような大型店舗を見つけ、
覘いてみる。
パリに居住していたら買うだろうなと思われる物がたくさんあった。
もう、美術館は疲れてしまったので、どんどんたまっていってしまう荷物を一度ホテルへ置いてから、
シャンゼリゼへ行く。
どれを見ても同じようで、おもしろくないけれど、男性の服で一軒だけ、非常におもしろい店があった。
エトワールから歩いてしばらく行った、左側の合同店舗の中の1点。
表通りに面していないから、ブランド店だけを見て歩く人の目には留まらないかもしれないけれど、
これは、まるで、セレブのパーティか、ショービジネスの衣裳か、またはおかまのファッションか。
ヨーロッパに来て、初めて興味を惹く男性用服飾店を見た。
でも、あいつだったら、絶対に着ないだろうなと思うと笑いがこみ上げてくる。
同じアーケード内に、毛皮のデザインがすごくいい店がある。
毛皮を着ている人もたまに見かけるから、みんながみんな避けているわけではないのだと思った。
本屋へ行くと、大人が何人も床に座って、真剣に漫画を読んでいる。
しかも、コーナーには、漫画mangaと表示されている。
いつからその言葉が国際語になったのだろう。
タンタンを全部揃えたくて、持っていたなったソヴィエトの巻を買う。
意外なことに白黒で、しかも、絵がまだ確立していなかった。
きっと、エルジュの初期の作品なのだろう。
もう今日はたくさん歩いてくたびれたから、モンマルトルのウサギのなんとかというシャンソニエに
行かないことにする。
これは、クレイジーホースなどと同様に、次回にまわそう。
これで、またパリへ行く用事ができてよかった。
平成19年12月10日(月)

アムステルダムへ出るまでが、ひどい渋滞。
朝まだ暗い高速道路がほとんど動かない。
高速道路なのに、側道からロータリーで入って来られないで、いちいち信号で止めているから
渋滞を招いてしまう。
こんなお金持ちの国なのに、この道路事情の悪さはなんだと友人は怒っているけれど、海面下の
国土を持つ、本当に狭い、想像を絶する灌漑で、どうにかこうにか国土を作って、やっと住んでいる
人たちのこの国の土地の価値たるや、標高が高い土地に住む人にはわからないだろう。
よくぞここまで、発展させた、偉かったと言ってあげたいくらいだ。
アムステルダムは雑然としていて、少々汚い。
スポットレスに清潔なゲルマンの都市のイメージからかけ離れるけれど、これも、限られたわずかな
土地になんとか運河をめぐらせて懸命につくりあげた都市だと思えば許せる。
特急のタリーに乗り、 途中、ブリュッセルを経由してパリへ。
モンマルトルのシャンソンニエ、ラパン・アジルへ行く。
丘の途中に、突如として出現した一軒家。
こんなところがまだあるのだ。
見つけるまでに10人くらいに道を聞いてしまった。
平成19年12月9日(日)

ドイツまで車で20分くらい。
アーヘンのカール大帝温泉へ行く。
ここの温泉は、正真正銘のヨーロッパのかつての首都の記念すべき温泉。
昨年行った時は、運転で疲れるから、コーヒー飲んで待っているからマリカ一人で行って来いなんて
行った友人も、カール大帝温泉の設備の素晴らしさを人から聞いたようで、大変残念がっていたから
今回は、どうしても行きたかったようだ。
私は、同じ温泉へ行くより、もっと狭くても、まだ行ったことがないオランダの温泉へ行った方が嬉しかった
のだけれど、どうしてもアーヘンというものだから、それに従った。
水着ゾーンは、今日が日曜日のせいもあり、たくさん家族づれがいたけれど、全裸温泉は、昔のローマ帝国そのままの
温泉文化を引き継いでいる。

アーヘンの町の中央に、中世の家をケーキ屋にした喫茶店があり、骨董品のような、昔の家の
各部屋が良い雰囲気を醸し出している。
今でもこのような建物が残っているとは嬉しい。

マーストリヒトと、アーヘン、両方のゲルマンの町の商品の違いなどあるのだろうか。
国民性が失われていき、同じ物しか売っていない。
ドイツもオランダもないのだ。
文化まで統合されて、顕著な違いを失っているのだ。
だから、退屈なのかもしれない。
日本なら、場所にもよるけれど、店の半分は和風。
神楽坂なら90%、浅草なら100%が日本固有の伝統文化を商品にしている。
ゲルマンは、ゲルマン神話を失った時から、本来のゲルマンから離れてしまっている。
もう、後戻りはできないから、もっともっと失い続けて、そのうち、民族固有の文化的伝統が
きれいに消し去れててしまうだろう。
平成19年12月8日(土)

朝、テルメ2000の露天で泳いだ後、近所のスパで近隣の別の温泉を紹介してもらう。
こういう温泉めぐりができるから、ゲルマン圏はいい。
万一フランスの温泉へ行こうなどという気を起こしていたら、こういうことはできなかっただろう。
実際、オーヴェルニュには10の温泉があるのに、9は冬季閉鎖していて、ひとつ残るヴィシーの
4つの温泉施設のうち、ひとつは閉鎖で、実際に稼動しているのは3つのみ。
そんな所へ行ってしまったら、温泉めぐりもできず、一箇所に限定され、非常に退屈してしまった
ことだろう。
病人の治療ではないのだから、そんなこと真っ平ごめん。
シッタルト付近のボルンの温泉へ行き、部屋に荷物だけ置き、マーストリヒトへ行く。
こじんまりした良い町。

ここも、ホテルと直結している温泉だ。
テルメ2000と違い、ここは、完全全裸温泉。
いわゆる、水着ゾーンがない。
外の露天も全裸で泳ぐ。
水温がかなり低い。
私的にはこういうのは、別に気にならない。
ただし、場所が限られているので、10度おきに違う温度の乾サウナがずらっと並んでいるというのではない。
しかし、温泉もミントの香りと青い照明にして、乾サウナは柑橘系の香りと、テーマを決めているから
悪くない。
オランダ人は一節によると、世界で一番大きく、180センチ以上ある人がゴロゴロいて、
その身長を基準にバスローブ掛けがあるから、私は届かない。
トイレの便器も、高く設置されているから、座ると私は足が床に着かない。
パリのトイレは足の裏が床についたのに。
家具や便器は、人間工学に基づいて造られるから、こういうことになるのだろう。
少しでも水着を着ようものなら、係員が脱ぐようにと注意しに来る。
3回注意をされたら、退出を命じられる。
このくらい厳しくしておかないと、海パン姿の中国人でいっぱいになってしまう可能性がある。
この規律に従うのに躊躇する人が来るのを食い止めることになるから、全裸温泉の秩序が
保たれる。
他の日本人がいたら、私はすぐに隠れるだろうけれど、白人以外は私だけだった。

温泉ホテルなのに、バスローブで食事をしている人はいなく、建物はつながっているのに、
経営が別なのか、関連が乏しい。
部屋はたいしたことない。
なんでこれで4つ★なんだと友人は怒っていた。
平成19年12月7日(金

ここの温泉は、まわりにいくつかホテルがあるけれど、温泉と直結しているホテルに泊まったから、
朝から晩まで3食バスローブとスリッパで食事ができる。
日本の温泉旅館でゆかた姿で食事をするのと同じ。
朝の8時から夜の11時まで温泉に入れるから、朝食前にひと泳ぎしてから、健康志向の内容の朝食を
食べて、マッサージやサウナを楽しんでから露天で泳ぎ、昼ごはんの後、プールサイドで転寝をして
またサウナ。
晩ご飯の後は、暖炉のまわりに集まって読書をしたり、瞑想したり、これもバスローブのまま。
三食違う場所で食べさせる演出がすごい。
友人がオランダ人に推薦してもらったというだけあり、規模が大きい。
ドイツにもこれだけの施設はなかったように思える。
もちろん、バーデン・バーデンは温泉そのものは歴史的で大きいけれど、温泉にホテルがある
わけではいから、一度着替えて、外へでて、ホテルまで、徒歩か車で行かないといけない。
寒い時など本当に面倒だけれど、オランダのテルメ2000は、ホテルと直結して、近代的で衛生的で
コージー。
居心地の良いのはこちらだろう。
ドイツの温泉の中にドイツ語しか書いていないのと同様に、オランダの温泉もオランダ語しか書いていない。
ドイツ語とほとんど同じだから、なんとなく想像しながらこうだろうと思うと、本当にそうなので、
喋れはしなくても、書いてあることの意味はわかる。
結局、外国人が来ることを想定していなくて、自国民が来て楽しめるようにしてあるのだ。
実際には外国人がたくさん来ているのだけれど、そこに書く言語を増やせば増やすほど、予想外の
外国人を受け入れることになり、結局、伝統的な温泉の雰囲気が乱されることを好まないのだろう。
もし日本の温泉に、ハングル語や中国語、タイ語やシンハリ語の注意書きが書いてあったらどうだろう。
日本人は気分を害して来なくなる可能性がある。
だから、あえて書かないのだと思う。
そのかわり、ルビーのような韓国サウナは、あえてハングル語で表示してあるから、その人たちが
集まる。
保守的であるから、保てるモラルがある。
特に全裸サウナのゲルマン文化圏では、それは好ましからざる人々を招き入れないためにも、
言語で国境を封鎖する方法をとっているのだ。
あながち、私の独断と偏見ではないかもしれない。
平成19年12月6日(木)

夕方6時にパリからオランダまで車を走らせ、オランダで一番と言われる温泉「テルメ2000」に到着。
フランスの温泉に行かなくて正解。

平成19年12月5日(水)

ヴェルサイユ。
小雨の降る肌寒い中を、ツアーではなく行かれたのも、ミレンさんのお陰。
なにか、列車があまりきれいではない気がするけれど、フランスだから仕方ないのかも。
あまりに広く、次々に部屋から部屋を見て歩き、いささかご馳走様。
鏡の間は、思っていたほど大きくなく、ともかく幅が狭く、細長い。
ここだと、舞踏会を催しても、それほど大規模なフォーメイションダンスにはならないから、縦列に2列に並ぶなどが
基本となったのだろう。
それにしても、貴族たちはずっと立っていなくてはならなかったというのは、さぞ、腰にわるかったっだろう。
プライバシーのないのも何かいまいち理解できない部分で、寝る場所の際を人が通り過ぎて、部屋が廊下になっている。
どうして廊下を造らないで、部屋でつないだのだろう。
採光を考えたら、内側に廊下をつければいいのに。
トリアノンへ行き、公開されていたグランド・トリアノンのみを見る。
プティ・トリアノンは閉鎖されていた。
この広大な庭を馬で移動したのだろうか。
私たちは、電動自動車に乗って、楽々と移動するけれど、あの時代、あの靴、あの裾、どうしましょう。
ここに物資を運ぶのは、なるほど、非合理的で、経費がかかり過ぎ。
ここを閉鎖したのが納得できる。
どうしても、ここでは辺鄙だ。
さて、パリに戻って来て、ミレンさんと別れ、迎えに来た友人の車で、出発。

平成19年12月4日(火)

「リド」。
平成19年12月3日(月)

今日は、「ベル・エポック」。
昔はこういうタイプのキャバレーがたくさんあったのだろうと想像する。
ダンサーは6名。
顔が大きかったり、足が太かったり、身長が足りなかったり、ウエストに肉がついていたり、男が
ムキムキの筋肉でなかったり、やはり、一流どころに出られない人を集めているのだろう。
どうして、振りが合っていないのか。
反対の足なんか上げるか、このバカ者とダメ出ししたくなる。
同じ振りを繰り返して踊るな、一番前の席なのに退屈で寝てしまうぞ。
平成19年12月2日(日)

朝暗いうちに成田へ向かい、同じ日の午後の早い時間にパリに着き、夜、ムーランルージュへ
いくなんて、すごく得をした気分。
15年前に見たムーランルージュより、出演者が少なくなっている気がする。
あの時は本当に100名近くいたけれど、コスト削減したのだろう。
「フォルミダブル」のプログラムでは、車、馬、バイク、ワニなども出演していたけれど、今回は、ゲテモノと
しては、アナコンダ3匹。
せり上がってきたプールの中で、シンクロナイズ・スイミングの美女と一緒に泳ぐのは圧巻。
歌舞伎の引抜をぱくって、シルバーのズボンを一気に抜いで、足を出すには、日本に来て、
歌舞伎を見て勉強したのだろう。
言いたくないけれど、ブスが一人混じっている。
顔が悪いだけではなく、表情が乏しい。
どうして、天下のムーランルージュがこんなの出すのだろう。
きれいな人はみんなきれいだから、むしろ目立たないけれど、ブスはこういう場では目立つ。
ニューヨーカーのレスリーが唯一の黒人として混ざっていた時には、もっと華やかで素敵だっただろう。
踊りはというと、ブロードウェイがやっていたボブ・フォッシーのダンシングとか、トワイラ・サープ版の
「コーラス・ライン」なんかの方が、踊りの振付的にずっと高度な技術を使っている。
結局、ロシアを入れると、タップをしていないから、リズムがいまいち甘く、踊りがそこそこになってしまい、
こういう結果になるのだと思う。
あの人たちにニューヨークのフットワークは無理だから、見てきれいな人が豪華なものを着て現れる
形式になるのだろう。
ニューヨークのラジオ・シティのライン・ダンスのすごさは、ムーランルージュのラインダンスを超えているから
歴史として見て、面白い。
アイデアだけ頂戴して、よそ者の方が、本家本元より、高度なことをやってしまうのだ。
でも、ムーランルージュを一番前の席で見られるなど、私は本当に幸福者。
ミレンさんが予約を一手に引き受けてくれたからこそ可能だった。
平成19年11月28日(水)

「はっきり言っておく。心を入れ替えて、子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」
(マタイによる福音書18章3節)。
こういう忙しい時だから、この言葉をいつも以上に真剣に受け止めていないといけない。

一生懸命に勉強しよう。
これが今の自分にとって一番大切なこと。
忙しいからフランス語のお稽古を休むようなことだけはしまい。
平成19年11月27日(火)

朝から「ロンキューハイランド」の撮影のため、汐留へ。
夜帰って来てすぐに、フランス語の練習で神楽坂へ。
いつもは先生にいらしていただくのに、今日は遅いからこちらから馳せ参じる。
明日も昼からフランス語。
夜まで復習予習で明日に備える。
その間に、いくつかの仕事をメールで済ませる。
ラスヴェガス・スタイルのショーをといって、リンディーホップの音楽が送られてきた。
衣裳は帽子とステッキと指定がある。
これは、明日クライアントに直接話さないといけない。
そんなの、ヒップホップの音楽で佐渡おけさを踊るくらいちぐはぐ。
踊りは文化だから、音楽と一致していない形式は私はやらない。
鳴っていればなんでも良いのではなくて、音楽を踊るのが踊りなのだ。

私は自分が人生を賭けてきた大切なものは、真剣に取り組む。
平成19年11月17日(土)

面接に来た黒人男性がヒップホップを踊った。
非常に力強いスタイルだった。
このジャンルはやはり、この人種でないと踊れない。
踊りと存在が自然な一体となるには、人種が大きくものを言うとつくづく感じた。
習った動きを踊るのではなくて、中から湧き出る感情を踊りにしている。
ウェイブも、ロボットもエジプシャンもポップも、もっと進化して、その原型がわからないような
カキッ、ジワーッとした動きで、非常に面白い踊りを見た。
ひとつの動きに思い切り力をこめていて、へー、こんなスタイルがあるのだと感心した。
なるべく汗をかかないように、長く踊るのとわけがちがう。
日本人が踊るとこうはならないのは、顔がモンゴル系で、根本的に合わないからだ。
自分が作曲して歌っているという、かなりかっこいい曲、それも、ギロギロのヒップホップではなく
メロディ・ラインがかなり美しい曲で踊っていた。
いわゆるトータル・アーチストで、踊りや音楽は本来、こうあるべき、分割してはいけないという大原則を
体現している。
久々にいい踊りを見たので、ファッション・ショーもやってみたら、モデルもやってみたらと、あれこれ
動きを指示する。
爪先も伸ばすといいかもねなどと言った時、突如、右のズボンの裾を上げた。
その足は、義足だった。
私は声を上げそうになるのを押さえて、つとめて自然に、それならかかとからついて、こう歩くのは
どうかしらと言った。
心臓がドキドキした。
この人は、義足なのに、私にヒップホップを踊って見せたのだ。
その表現方法があまりに素晴らしかったから、義足で踊っているなどとまったく感じさせなかった。
五体満足な人が踊っても変な踊りを日頃山ほど見ているから、この人の踊りのすごさは、
神様が乗り移っている動きなのだということがわかった。
片足を失った人が踊って、私はそれを見破れなかったのだ。
あまりに上手だったから。
私は泣き出したくなるのを押さえて、「ジャズ・ダンスブック」をプレゼントした。
私の師、ルイジ先生も、事故で医者から見離され、下半身不随、眼球を片方失くした状態から、
自分のメソードにより、見事機能回復し、世界一のジャズ・ダンサーになったということを話した。
神様がこの人を私の所へ送って下さったのだと思う。
本当に素晴らしい人に出会った。
バミューダー出身で日本人の配偶者と7歳の息子がいるという。
この人が人前で踊れる場を私は提供しないといけない。
それがこの人にとってどれほどの喜びになるか私は知っている。
今日のこの出会いに私は神様に感謝する。
平成19年9月30日(日)

エパタ教会へ行くのは今日で最後になる。
祖母の愛した連翹の花咲く庭や、クレイマー女史、ライシャワー博士のことを想うと、
現在の教会の状態に胸が痛むから、私はそこを出ないといけない。
どこにいようと、どこで祈ろうと自分と神様との関係を保っていれば、祈る場所が教会になる。
エパタ教会再建のために私は自分を用いていただこうと思っていたけれど、神様はそのエネルギーを
私が他の方法でもっと建設的に使うことを欲されているのだということがわかった。
教会から出た途端、私の乗ったスクーターが故障した。
明らかに神様がそうなさったということを私は知っている。
私は1984年から今まで、いきなりスクーターが故障したことは一度もなかった。
車体がまっすぐ進まないので、ハンドルを斜めにしたまま、だましだましソロソロ走り、
教会から2分先にある弁天町の家の駐輪場に置いて、雨の中をタクシーで戻った。
午後から外国人20名を引き連れて、麻布のクラブで写真撮影
今回、ブッキングで手間取ってしまい、男性衣裳のシャツの色を揃えたりということを怠ってしまったことを
深く反省している。緑が欲しい。紫の必要。黒が多すぎる。
それから、やはり、頭数だけ揃えても、ヒットラー親衛隊の模範生みたいなのが何人もいないとだめ。
ああ、ジークフリートがなつかしい。ああいうタイプが撮影には欠かせない。
アンナは見るたびに素敵になっていく。
どんどん向上している人を見るのは楽しい。
平成19年9月29日(土)

See ya 2mrw!! と書いて来た人がいる。
こんな書き方をするのは、フィリピン人の学生だけだと思っていたのだけれど、南米人もやるなんて。
本人はかっこいいと思ってやっているのだろう。
言葉は魂が宿るものだから、自国語のみならず、外国語に至るまで、決して貶めてはいけないという
私は信念を持っている。
レッスンのあと、アーシャがシュテパンに会いに来る。
スッポン亀でもないのに、すぐに噛もうとする悪い癖があるのに、アーシャが来たらなぜか、あまり噛まなくなった。
愛されていることを自覚したからかもしれない。
アーシャが見つけなかったらこの子は死んでいたから、この子にとってアーシャは天使なのだ。
で、私は何かというと、まあ、旅館の女将といったところか。
平成19年9月25日(火)

数週間前から予定していた撮影が夕方からあるというのに、モデルの一人と数日前から
どうしても連絡が取れない。
撮影スタジオも予約され、カメラマンやスタッフが雇われ、クライアントがはるばる大阪から来るという。
イライラがつのって爆発しそうになる。
撮影のわずか数時間前に本人から連絡がある。
今、成田空港からもどったとのこと。
バッカもん、どこへ行っとった!
本人曰く、ミャンマーで休暇とのこと。
軍事政権に対して、僧侶が大行進しているこの時期に、何がミャンマーで休暇か。
そんなところ、一番最後に行く国でしょ。
インターネットは軍事政権がヤフーやホットメールをブロックしているから、私に連絡できなかったとのこと。
神様、ありがとうございます。
あと数時間遅かったら、私は首が飛んでいました。
何事もなかったかのように撮影を済ませ、解散。
一生懸命に衣裳をつくった(99%はスタッフが縫った、私は切っただけ)この真剣さを神様が
誉めて贈り物を下さったのだと思う。
平成19年9月24日(月)

明日の撮影に間に合わせるため、ファイサル国王の着ているアラブ衣裳を作製することにした。
私の下手さ加減を熟知しているスタッフが夕方、見かねて駆けつけてくれた。
天使が入ってきたのかと思った。
「先生、ミシンの糸のかけ方が間違っていますよ」。
思わず絶句。
でも、その状態でここまでもう縫ってしまったのですけれど。
あとは専門家に任せて私は別の作業に。餅は餅屋。
私がダマスカスで買って来て、ベリーダンス・ショーで太鼓叩きに着せている衣裳は白だから、
王家の感じではない。
これは絶対に濃い系でないと、サウジ王室の雰囲気が出ない。
ヨルダンで買ったアラファト頭巾の紐のまわりに、金の飾りをつける。
そうか、この人たち、紐そのものは同じでも、そこに付けられた金の飾りで、一般人と区別しているのだ。
そういえば、ロバ引きや、一般人たちは、皆一様に黒だった。
アラファトも黒だ。
頭巾にしても、赤格子柄は、アラファトも王様も同じ物を被っている。
お光ものが好きだからといって、一般人が金の紐で頭巾を留めたりしたら、いけないのだろう。
服装で身分の違いを表わす、そういうきまりがまだ残っている世界なのだろう。
日本ときたら、三畳一間に住んでいる貧乏人でも、きんきらのいでたちで出歩いても自由だから、
服装を見ただけでは身分が判明しない。
平成19年9月20日(木)

年配者に来てもらって、掃除をしてもらった。
こういう年齢は掃除がなれているのかと思ったら、
らい時間がかかり、文句が多く、掃除機のスイッチの入れ方もわからず、ゴミや掃除用具をすべて掃除した部屋のテーブルの上に置いて帰ってしまうし、レッスンの邪魔はするし、伊勢丹の地下で買ったお弁当を用意したのに期限が悪いし、金額の文句を言い、老眼鏡を忘れて行き、この忙しいのに私が届けにいかなければならなくなり、頼まない方が良かったくらいでした。
これが母親でなくて、高齢者事業団から派遣されたばあさんかなにかでしたら、10分で
お引取りいただいたところですが、クビにすることもできず、私はレッスン中で本当にまいりました。
平成19年9月18日(火)

朝から日本テレビで「ロンキューハイランド」。今回はなぜか2週分まとめて収録なので、グーチョキサンバ隊は
衣裳も、メイクも、ヘアスタイルも、登場名も全部変えて、違う人のように出てくる。
2回目の収録分のせりふは、混ざると紛らわしいから、1本目が終わるまで口にしない。
時間が押したので、帰りがかなり遅くなってしまったけれど、これで次回の撮影まで1ヶ月空くことになる。
今回は変化を出すために、普段使わないようなイギリスやアメリカ国旗柄のビキニ衣裳にしてしまった。
平成19年9月10日(日)

教会へ持って行ったアロエが短期間のうちにすくすく元気になったので、2株だけ神様からいただいて
東京監獄市谷刑務所に植える。
先日のクンシランがまずいことに、隣の家の空調機の前なので乾燥しやすい。
ことによったら、イチョウの木の反対側に移さないといけないかもしれない。
平成19年9月日(土)

レッスンの後、ベランダのプランターから1株取って、東京監獄市谷刑務所へ行き、
金のなる木(花月)を植える。
この地面は、驚くことに、子供の頭ほどもあるコンクリートや、赤レンガの塊が地中に埋まっている。
当時の東京監獄の塀が多分、赤レンガでできていたのだろう。
そして、塀を壊して、細かくして、地面に撒いたのだろう。
だから土地は、植物を植えることに適していない。
きれいに花を咲かせる人がいるというのに、私はまだ咲かせたことがない。
株が古くなったら、どんどん分けて、新しい土に移しているのだけれど、過去5年近く咲いたことがない。
だからといって、今後も咲かないとか限らない。
これまで私の花月は、他の花たちの脇役でしかなかった。
特にちやほやされたこともなく、咲く理由もなかったのかもしれない。
植物は頭がいいから、何故自分がそこに植えられたのか、使命感を感じた時、初めて咲くかもしれない。
今や、この花月は、刑死場跡の慰霊碑の隣に植えられた。
咲くことで無念の死を遂げた人々の魂を癒すという大きな仕事が待っている。
植物は心を持っていて、人間の思っていることがわかるから、私の手伝いをしてくれると私は信じる。
平成19年9月8日(土)

来週の撮影の衣裳関連の買出しに。
たか&としさん用サンバ・サンダルのためのサマー・サンダルを新宿通りの某店で買ったら、
なんと1万円を過ぎてしまった。
これは予算オーバー。急いで、靖国通りへ行って2足目のサンダルを買う。なんと特価480円。
この貧富の差が気になるけれど、このサイズでは無理かもしれないから、やなりもう少しちゃんとしたのを
用意しないとだめかな。
レッスンの後、秋田県から予告もなしに突如、大前静子画伯について知りたいという方の訪問を受ける。
祖父船崎幸次郎のことも知っていて、びっくりした。
聾唖者の美術家について研究しているとのこと。
今の聾唖教育は、口話法を使用しないで、安易に手話を用いるものだから、人と人との伝達が
口話法ほどうまくいかないので、結局筆談をしてしまう。
祖母はライシャワー氏から、口話法を修得したから、まったく聞こえないにもかかわらず、人の言うことを
完璧に理解していた。
ライシャワー氏がその娘プリシアさんに学ばせ、日本に持って来て、クレイマー女史と一緒に指導して
一世風靡したそのメソードが、いかなる理由で使われなくなってしまったのか、私は知りたい。
口話法の方がはるかに自然だ。
私は、日が暮れてしまわないうちに、訪問者と一緒に、ゴムの実生を持って、昨日に引き続き、
東京監獄市ヶ谷刑務所刑死場跡地へと赴く。
クンシランの隣にゴムを植え、水をかける。
これら、うちのベランダで毎日ジョウロで水をかけてもらいながら、ぬくぬくと育った子供たちは、
これからは、神様のお恵みの雨しかもらえない場所で、育つだろうか。
あまり日照りが長く続くようだったら、私がたまに行って、水をかけよう。
しかし、直植えなのだから、この子たちは、必要な水分や栄養は自分で根を下ろして、
自分で確保できる強い植物になる。
親馬鹿の私は、油粕でも持って来週あたり富久公園へ出向くかもしれない。
次はアロエかな。それとも、弁天町にとりあえず置いてある教会の庭の実生のヤツデかな。
神楽坂のリンゴの木を半分に分けて、持ってくるという手もある。
刑死場跡を、花や実をつける植物でいっぱいにしまいたい。
平成19年9月7日(金)

台風の後のさわやかな空気。
たくさんの雨をありがとうございますと神様に感謝する。
これで、エパタ教会のアオキも枝がしゃんとするかもしれない。
毎週あの枝と葉には、心を痛めていた。
アオキがそれほど多くの水分を必要とするとは、知らなかった。
三井三角ビル49階の食べ放題にイギリス人、アメリカ人たちと行く。
こんな家賃の高いビルで、このような料金で食べ放題をしていてよいのかと思うけれど、まあ、皆さん
ここが潰れたら困るから、一生懸命にお友達を誘って、営業に貢献しているのかもしれない。
私はつい、新宿三丁目の和食食べ放題へ行ってしまうけれど、これからは、少し足を伸ばして西口まで
来ることも必要かも。
台風の後なので、神楽坂付近の大久保通りのオシロイバナがかなり倒れていた。
オシロイバナのようなのは、もろい関節と同じだから、ある程度は仕方ないのかもしれない。
ところが、私のベランダの黄色のオシロイバナは、ポキッと折れてはいても、かろうじて、皮の部分で
繋がっている。
そこから、必死で栄養分を先端へ送っているのだ。
そのままにして様子を見よう。
きっとこれからも黄色い花を咲かせ続けるはずだ。
数ヶ月前に折れた赤いゼラニウムがそうだったから、オシロイバナも頑張ってくれるはず。
人間だって、これまで地代と、家賃と、給与と、パート収入と、外為操作で生活してきた人が、一気にその
収入のほとんどを失ったところで、死ぬわけではなくて、パート収入だけでも、かろうじて
生きながら得るのと同じこと。
神楽坂からの帰りがけ、近所のお婆さんの庭の手入れを手伝う。
オリヅルランの枯れた葉を何十枚もつけたままで、これではかわいそう。
しかも、プラスチック容器に入れたまま、庭に放置してある。
どうして、直植えしないのですか、これほどたくさん土があるのにと言って、枯葉を取る。
アロエもかわいそうに、小さなプラスチック容器に入れたまま、栄養分がないものだから、ひどい状態。
これどうせ、捨てようと思っているから、いいのと言うから、だめですよ、おばさん、これ生きているのですよ、
私が今度シャベル持って来ますから、直植えするの手伝いますよ、赤い花が咲いてきれいですよと言った。
地主をやっている老人で、悠々自適の生活、何も仕事もないのだから、植物の手入れくらいしてほしい。
さて、今までやりたいと思っていたけれど、できなかったことを今日の夕方、遂にやった。
東京監獄市ヶ谷刑務所跡地の、東京弁護士会建立の刑死者慰霊塔の横に、クンシランを植えて、
慰霊碑に手を合わせた。
市ヶ谷刑務所に収監されたのは、軽犯罪者ではなく、思想犯と聞いている。
こそ泥や、かっぱらいと違い、思想犯というのは、必ずしも絶対的な犯罪者ではなく、むしろ、たまたま
歴史のその時期に於いては残念なことに「犯」になってしまうけれど、次の時代には先頭を切って
生きていられた知識人である場合が多い。
政府にとり、一番目障りなのは、頭の良い、口数の多い人だから、先見の明がある人たちはどれだけ
無念の思いで、ここの場所で死刑を執行されたことだろう。
私たちが今、自由や平和を享受できるために流された多くの血や、無念の死を迎えた人の魂を思いやり
私からの感謝のメッセージを伝えるようにと、よくよくクンシランに言い聞かせた。
このクンシランは、これまでベランダでのんべんだらりと生きてきたものだから、このような使命感ある
お役目をさせるのも、花にとって良い刺激になる。
夜の刑場跡なんてコワイよう、お家へ連れて帰ってと泣くようでは、まだ修行が足りない。
暇人の園芸の相手をするだけが花の使命ではない。
もっと崇高な役目を命じられることだってあるのだ。
次は、ミカンを植えようか、ゼラニウムを植えようか。
冬でも枯れないものを植えて、この地で最後の瞬間を迎えた人々、ここらあたりを飛び交っている魂に
憩いを味わっていただこう。だから、オシロイバナは失格。
私は、その方たちは、スズメの姿になって、すぐそばの高い木に巣を造って生活していると思う。
というのは、クンシランを植え終えて、私がシャベルを持って帰ろうとしたら、急に何十羽というスズメが
その木から出てきて、大きな声で私に一斉に歌いかけたから。
皆が怖がって近寄らないこの刑死場跡に植物なんて、洒落てるじゃないの、今度は何を持って来るの、
楽しみだと言っているように聞こえた。
公共の公園の敷地内に、管理者の許可なく勝手に植物を植えるのは、はっきり言って、余計なお世話で
やらなくていいこと、やらないほうがいいことと思う、頭の固い、心の貧しい人々を私は放っておこう。
おせっかいと言われても結構、それは、勲章だと思って大切にとっておく。
かつてこの世で行われたすべての良いことのうち、おせっかいでなかったことなど、あるのだろうか。
おせっかい、いいではないか、これは誉め言葉で、愛の証なのだ。
平成19年9月6日(木)

サンケイ・ウェブ版を読んでいたら、北京オリンピックをボイコットした方がいい理由がまた見つかった。
「狗肉火鍋(なべ)」から「辣汁狗臉(辛みスープの顔肉煮込み)」などの犬料理…。中国の東北地方を中心とした約190万人の朝鮮族、南部の雲南、海南省などで、犬料理は一般的だ。
 「狗(犬)肉館」と大きな看板が掲げられたレストランが中国各地にある。
オートバイや車の荷台に皮をはがれ、すでに死んでいる犬が何匹も乗せられ、でこぼこ道のたびに
揺れ動く光景を地方出張で目にする。
食用にされる前の生きた犬を見ることもある。
 「消費量」の公式数値はないが、中国では年間で約1000万匹が食用や革製品として命を落としているとの数字もある。猫は約400万匹ともいわれる。
 友人の中国人夫婦は、雑種の小型犬を飼っているが、「飼う犬と食用犬は(質が)違うんだ」と講釈する。
「食用犬」は、大型の養殖場で交配を重ね、生後わずか数カ月で出荷されるのが一般的なため、友人は
「血統もなく、食肉のために生まれてきた」と力説する。しかし、説得力がなく、どう違うのかよくわからない。
 国内には1億から1億5000万匹(頭)のペットが飼われ、犬は少なくとも1000万匹を超えるとみられる。
登録せずにひそかに飼う「ヤミ犬」もいるので正確な数は不明だ。
 北京五輪では犬食用文化にスポットはあたるのだろうか。「犬に飼い犬と食用犬の区別はない。
中華民族は野蛮な国家と認識されてしまう」(元人民大学教授)と、犬料理禁止を訴える人もいるが、
ペットとして犬を飼っても、友人のように「食用とペットは別」と考える人も少なくない。
 数万元の値が付くいわゆる「名犬」と目が合うと、「食用犬」の悲しげな目とだぶってしまう。」
北京でこの記事を書いた野口東秀氏は、さすがに、中国は野蛮だからオリンピックをボイコットしようとは
直接言っていないけれど、この記事を読んだ人ひとりひとりが、北京オリンピックをボイコットするには、
どういう手段をとればよいのか、考えるきっかけを与えてくれたことを感謝する。
あの国がオリンピックをするのは、チベット問題が解決してからと、世界の良心はなぜ言えないのか。
平成19年9月5日(水)

いろはにほへとが、実は、隠れた原始キリスト教のメッセージがこめられていることを知ったら
日本人はびっくりするだろうが、ひとつふたつがいちにさんに取って替わられ、いろはがあいうえおに
替わられたら、ユダヤ人が日本に残した大きな痕跡が失われていってしまう。
いろはを七文字づつ区切って、並べると、下の字だけを右から読むと「咎なくて死す」になり、
右上、左上、左下の1字づつを取ると、イエスとなる。
つまり、イエス咎なくて死すと読めるようにつくられたのが、いろはなのだ。
いろは歌は旧約聖書の、「すべての人は草、その栄光はみな野の花のようだ」(イザヤ書40章6節)と
「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かして下さい」(詩篇代119編37節)。
いろは歌のドイツ語訳をくれたドイツ人にこのことをすぐに知らせないと。
びっくりしている顔が目に浮かぶ。
平成19年9月4日(火)

大好きな友人が本日京都へ行くけれど、私は今日はグーチョキサンバ隊の日だから、朝から日本テレビへ。
私は正直言って、額に汗して、京都の街を地図片手に歩きたいとは思わない。
それより、涼しい部屋の中で、ユダヤ人景教徒秦氏のゼネコン・ブレインの総仕上げであった京都の
秘密について、詳細に勉強したい。
「アケメネス朝ペルシャのスサという都市は、ヤサカ河という川の上流にあった。
そしてスサではGIONという名前の神が祀られていた。
そしてスサの総督をしていたのはユダヤ人だった。
ここから、八坂神社の祇園祭(牛頭天皇=スサノヲを祀る)が生まれる。
スサノヲというのは「スサの王」という意味」だそうで、牛頭天皇のお祭りで、もとを辿れば、
シルクロードの先ということを理解しないで23歳の時、当時つきあっていた男と一緒に祇園祭を
見に行った。
その男はユダヤ系カナダ人で後に婚約したけれど、結局結婚しないで、惜しい人をなくした、もう
あのレベルは生涯手に入らないだとうと思ったらやはり入らず、もったいないことをしたものだ。
もし、当時、京都の街は、景教徒の秦氏が、ある目的を持って構築したあの民族の総決算であることを、
知っていたら、もっと、おもしろい話がたくさんできただろう。

ところで、日本テレビ11階のグーチョキサンバが毎回使う楽屋に絵画が架けてある。
窓なし部屋なので、この1枚が気持ちを和らげる。
ジャン・フランソワ・ラリューの「命の樹の歌」と題されている。
この人は、生命の樹カッバーラを理解した人なのではないかと思い、その作品をいくつか見てみると
すべて、生命の樹カッバーラに通じる画風なのだ。
イエス・キリストが弟子に教えたことがカッバーラ、生命の樹なわけだが、この生命の樹カッバーラを
知って生きている人と、知らずに生きている人との間には、深淵があるのだと最近わかった。
カッバーラを知っていると、生命の樹の上にどんどん上がっていき、その存在を知らないと、
果てしなく落ちていき、逆生命の樹、つまり下向きに生える死の樹の先の先まで転落してしまう。
私はカッバーラについてかじるようになって以来、人や作品や団体、国、あらゆるものを見る時に、
必ずカッバーラをそこに見てしまう。
これは一筋縄ではいかない理論だから、勉強に多くの時間を費やさないといけないのだけれど、
この存在を知ったことだけでも、自分の人生を根底から変えるようなことだと実感できたことだけでも
大きな収穫。
人の顔自体がカッバーラなのではないかと思うこともある。
上昇するカッバーラ、転落する死の樹のカッバーラはすぐにわかる。顔に書いてある。
平成19年9月3日(月)

ブットさんは、お気の毒に、かなり中年太りになった。
今でも、もちろん美しいけれど、当時の面影はない。
大喪の礼で来日なさった時は、一番きれいな時だったかもしれない。
こんなきれいな人がこの世にいるのかと思ったほどだった。
あの時は、故ダイアナ妃とチャールスも来日なさったから、すごい顔ぶれだった。
ムシャラクは結局、最初からずっとあの不自然なヘアスタイルで通してしまった。
濃い系で、一番かっこよかった首脳は、昔のイランの首相、アボルハッサン・バニサドルだろう。
私は、プレイボーイ・タイプのあの人にどんなに憧れたことだろう。
新聞の切抜きを切って、ノートに貼ったりしていた。
フランスに留学していたと聞いている。
平成19年9月2日(日)

教会に行く時からシャックリが始まり、礼拝の間中、止まらない。
礼拝の後、植物に水を遣っていたら、止まった。
これは、初めてではない。2ヶ月前くらいの日曜日もそうなった。
聖書を学んだり、植物と会話するのは好きだけれど、教会のそれ以外のことが私のしゃっくりを引き起こす。
おういえば、昔、シャックリが止まらないことがあった。
1982年の春だった。
数日間止まらなく、寝ている時だけ止まって、起きるとまた始まった。
ビクターのジャズ・ダンスLPのことで、私の神経はずたずたになっていて、電話も居留守を使うわ、
打ち合わせもすっぽかし、挙句の果てに、「来いよ」と言うから、「行くわ」と言って、彼氏の待つ
カリフォルニアへ行ってしまった。
行ってからもシャックリが止まらなかったけれど、太平洋沿いの道を南下して、サメのステーキを食べたり、
新聞王ハーストの邸宅を見たりして楽しくなってきたら、止まってしまっていた。
身体は正直だから、シャックリを起こさせることで、口で言えない主張や抵抗をしているのだと思う。
夕方フィンランド人が、フィンランドのラップランドでしか取れないなんとかという野生の実でできた
ジャムを持ってきてくれた。
神楽坂のおいしいパン屋でクロワッサン買って来てこのジャムつけよう。
平成19年9月1日(土)

イギリス人が到着した。
訛っていて、何を言っているかわからないイギリス人なんて初めてなので、いささか唖然。
私はパキやスリやインド、そして、究極の東南アジア・ピジョン英語でもわかるのに、このイギリス人は
一体なんなのだろう。
ケルト語が入った方言を使っている人なのだろう。
こんな人が英語教師として来週から授業をしたら、生徒はまったくわからないだろう。
首になるかな、気の毒だな。
こういう人は、人と直接話さなくていい作文添削とかをしていたらいい。
日本語学校で、ズーズー弁の教師がいたら、やはり首は覚悟だろう。
わだすは、ようずえんで、ぬほん語、おすえるなんて言ったら、外国人は誰もわからないだろう。
私は劇団風の子にいた時に、関谷幸雄先生が東北弁のミュージカルを演出なさていたのを
日頃見ていたから、なんとなくわかる。
東北弁はフランス語と似ている。
私はやはりイタリア語やドイツ語のように、口を開けるはっきりした言葉でないと好きになれない。

ところで、ペットボトル入りのミネラル・ウォーターは、ダイオキシンが危険だから僕は絶対に家では
買わないね、外ではしかたないから、飲むけれどと言う科学者の友人の言葉を思い出し、瓶入りの
国産品を捜していた。
きよさんがそれを買えるサイトを教えてくれたので、早速注文する。
どんなに水が良くても、それを入れる容器がダイオキシンを発するプラスチックなら、水を飲んでも
健康どころか、健康を損なうわけだから、水にこだわるのと同時に、容器にこだわらないといけない。
平成19年8月31日(金)

モンゴルの文字は、ウイグル人の文字から輸入して、それでモンゴル人は読み書きができるようになった
というのは、おもしろい。
景教がモンゴルで栄え、それがアジア全体に広がり、高い文化をもたらしたのは、大変興味が
ある事実だけれど、どうして景教の教え、つまりネストリウス派キリスト教の教えは、その後
アジアで定着しなかったのだろう。
日本へ来た時も景教という名前ではなく、なぜ、神道の中に隠したのだろう。
稲荷神社や八幡神社にどうして隠したのか。
ユダヤとかキリスト教ということを、ひた隠しにしながら、それでいて、いろいろなところにその手がかりを
残して歴史の中で生きながらえさせようと、最初に計画したのは、誰なのだろう。
会議か何かをして決めたのだろうか。
暗黙の了解だけでは、ここまで徹底的にできなかっただろう。
レッスンの後、食料の買出しに行く。
毎日鰻を食べるので、静岡産のを買う。
中国産は誰も買わないので、山と積まれたまま。
本場直送の韓国産冷麺も、特売と書いてあるのに、誰も買わない。
中国朝鮮の食品は絶対に買わないという強い意志を持った消費者が多い証拠。
ところで、生ハムというとすぐにメロンと食べるものとレストランでは定番になっているけれど、私は
桃や梨と食べたりしている。
絶対に国産の果物しか買わないことにしているので、フィリピンのものや、イスラエルのものも排除。
一番よく買う果物は葡萄で、巨峰でもデラでも、両方よく食べる。
簡単が一番。包丁も使わなくてすむ。
トマトはチェリートマトしか買わないのも、同じ理由。
平成19年8月30日(木)

アルゼンチン人の業者に畳の部屋を洋間にしてもらった。
イタリア系スイス人合気道家が数ヶ月前に当方に宿泊していて、その人を連れて来たのがこの人。
その後、スペイン人合気道家が7名どっとまとめて来たのも、みんなこの人の手引き。
このアルゼンチンの本業が工事屋と知り、少しは本業に貢献させてもらおうと思って依頼した。
日本人だと、どうしましょうか、こうしましょうか、書類送りましょう、署名して下さいと、実際の工事が
始まるまでに、いろいろな手順があるけれど、このアルゼンチンだと、自分が合気道へ行くついでに
私に壁紙や床材の見本を見せたりして、実に早い。
汗を流しながら、自分がほとんどの仕事をやり、補佐に日本人を一人使う程度。
これだから安い。早い。
今年は弁天町をはじめ、何戸も内装工事をしたから、もうこれ以上は無理だけれど、来年は、この人に
北新宿の台所でも頼んでみようかと思う。
思えば、あの台所は今から5年前に購入した時から取り替えたいと思っていたけれど、まず、お風呂、
トイレ、部屋、窓、洗面所とやっているうちに、とうとう手をつけていない最後の場所になってしまった。
お客様をたくさん連れてきて儲けさせて下さったこのアルゼンチン人に、今度は儲けさせないと。
平成19年8月29日(水)

ここ10年以上、いつも小岩井グルメファンのヨーグルトに決めている。
これを置いていない店へ行くと、ご丁寧に、この商品を入れるように、店長に直訴するくらい
これにはまっている。
なぜかというと、これ以上になめらかなヨーグルトにお目にかかったことがないから。
ところが、なにを血迷ったのか、「ケフィアヨーグル、長寿ロシア・コーカサス ケフィール菌」という
ヨーグルトを買った。
コーカソイドの語源の地だから、さぞかし彫りが深い美しい人々が山また山に住んで作っている
遊牧民の歴史的なヨーグルトなのだろうという興味。
ところが、歴史的なヨーグルトは、おいしくない。
粗いといったところか。
キメが細かくなくて、粗雑な感じがする。
小岩井のグルメファンと大違い。
習ったのに、教えた人より良いものを作ってしてしまうという日本人の特性で勝負した小岩井の勝ち。
ヨーグルトはいろいろ試したけれど、小岩井と比べると、どのメーカーも多かれ少なかれ、ゴソゴソした感じ。
私はいろいろ果物が入っているものより、何も入っていないとろけるような小岩井グルメ・ファンに
はちみつをかけるのが好き。
黒砂糖をかけることもあるけれど、それは、はちみつが切れている時だけ。
ヨーグルトの後に、水の山、富士山から取り寄せたお水をたくさん飲む。
蓬莱山に住み着いてしまった叙福のように、私もかの地でおいしいものをたくさん食べたいとは
思うけれど、まあ、私は叙福ではないから、富士山から取り寄せた食品を東京でいただく方が嬉しい。

レッスンの後、フランス人の引越しを手伝う。
平成19年8月28日(火)

2人のオックスフォードと、1人のアメリカ人の男たち3名を連れて、和食食べ放題に行く。
本当は暴飲暴食は週1回にしたいところだけれど、今週は2回。
新宿3丁目の善丸は、多少レベルが上がった。
ローストビーフが用意してある。
これまで30回くらい来たけれど、初めてのこと。
一応、内容を考えるようになったのかと誉めようと思い、もう一度取りに行くと、なんのことはない、
どうしようもなく、味の濃い鳥の唐揚になっていた。
あーあ、そういうことするから、客足が遠のくのに。
一品は、良いものを置かないと、なんでもかんでも安っぽいものばかりでは、モーパラ鍋ぞうや、
ヒルトンホテルの中華に流れて行ってしまう。
同じ価格なら、ちゃんとしたおかずを食べたいと思うはず。
老人相手ならともかく、客筋をもっと若く設定しているのなら、そこのところ考えないと。
嬉しい!待ちに待った雨!
どんなにかこの日を待っていただろう、特にかわいそうな植物たちは。
私は、ぜんぜん構われていない、路肩の植え込みが葉をだらっとさせているのを見ながら自転車を
走らせるたびに、心が痛んでいた。
どうして、目の前のお店の人は、水を遣らないのだろう、ひとつ、文句を言ってやろうと思ったことも
何度もある。
店の中を掃除する暇があったら、目の前にある、生きている木に水を遣りなさいといいたい。
店にゴミがたまったところで、世の中は困らないけれど、その木が枯れたら、虫や鳥は行き場を失い、
街の景観は悪くなり、神様は悲しみ、世の中全体が困るのだ。
痛いように突き刺す雨の中、牛込柳町から戻って来た。
これだけ降ると快感だけれど、この量を半分づつ、先週と今週に分けて降ってくれたら、もっと木々は
助かったのにと思う。
平成19年8月27日(月)

長安の都が安定して、文化が栄えたのは、景教の影響だったと知り、日本の歴史教育は、仏教一辺倒で
その結果として嘘を学ぶことになると恐ろしさを覚える。
ローマ帝国から発展した西洋キリスト教より、シルクロードを経てきたネストリウス派景教の方が、
はるかにキリスト教なのだと思う。
日本に入ってきたのがその時期これだったのは、本当に良かった。
しかし、教科書では、大航海時代にもたらされたことになっていて、言っていることが千年遅い。
仏教は何が恐ろしいかというと、仏像が多いこと。
お釈迦様本人は、「絶対に私の像を作るな、偶像を拝むな」とおっしゃったそうなのに、その後に続く
人たちが仏教を偶像崇拝の宗教にしてしまった。
とかく装飾が多い。
ヒンズー教もしかり、これでもか、これでもかと色彩豊かな装飾に包まれている。
金色の子牛を拝んでいたユダヤ人たちが神の罰を受けたように、偶像崇拝をしている人々も罰を
受けるのだろうか。
もしかしたら、すでに受けているのに、それを神の罰と感じていないだけなのかもしれない。
平成19年8月26日(日)

教会へ行く前、4時半から読書、レッスンの後も読書。
ケン・ジョセフという人の書いたものに、おもしろいことが書いてある。
昔の人の名前で、何とかのなに麻呂という語尾は、アラム語の方言のシリア語だというのだ。
それが、後に、麻呂が丸となり、牛若丸になったりする。
今は、こういう古風な名前を持つ人が少なくなったものだ。
ギヤ付自転車を買った。
もっと早くこの手のにしておけばよかった。
平成19年8月25日(土)

浅草サンバに衣裳を搬入するため、朝からタクシーで移動。
こういう時に私は読書をする。時間を無駄にしない。
さて、浅草サンバは、踊りとして考えた時にあまりに幼稚。
シロウトチームばかりだから、下手くそでも仕方ないのかもしれないけれど、ブラジル人がいても、
ブラジル・クラブのホステスを急に当日だけ集めてくるものだから、みんながそれぞれ、
バラバラなことをしていて、まとまった振付やフォーメイションになっていない。
時前に集まって練習なんてしていないものだから、とりあえず、腰振っておしまい。
この観客ならこれで済ませられると思っているところが、ブラジル人ホステスのメンタリティー。
おのぼりさんの観光客はそれでも喜んで写真なんか撮っているけれど、ジョンイルがこんなの見たら、
あまりのレベルの低さに仰天して、動きが不揃いなのは、チュチェ思想が足りないからと、
思想矯正収容所へでも入れかねない。
個人芸ばかりで、総合になっていないから、こういう結果になるのだろう。
だから、一番良かったのは何かと聞かれたら、小学生のブラスバンドかな。
少なくともみんなが心をひとつにして、同じことをやっていた。
ブラジル・ホステスたちは、強烈な愛国心で、すぐにつるんで、サンバという自国の民俗芸能を
日本に根付かせたけれど、フィリピン・ホステスは何やったのだろう。
これは、結局、ブラジルの日系3世の男性が日本に多くユーターン就職をしにきていることで、在日
ブラジル人男性も多くいることから、打楽器を叩いたりするサンバの楽隊がいて、これが成り立った。
しかし、フィリピンの場合、在日フィリピンはみな、ジャパゆきで、女性のみ。
しかも、島が6千だか7千もある国で、代表的な民俗芸能が選びにくい。
日本人はすぐにバンブー・ダンスを思い浮かべるけれど、これは、フィリピンだけではなく、タイでも
やっていて、竹の生える地方ならどこにもあるから、国を代表する芸能とは言いがたい。
ともかく、疲れる1日だった。
平成19年8月24日(金)

離れていた西日本島と東日本島が激しくぶつかり、長野県のあたりが山なったことを知り、昔、父が
長野県戸隠山でアンモナイトの化石を発掘していたこととやっと繋がった。
長野県は昔海の底などではなく、島だったため、海岸だったのだ。
そのアンモナイトは、私がおままごとでさんざん使用していて、子供心にもかなり古い印象を受けたが、
両島が衝突したのは、それほど古いことではないとのこと。
それに、海底プレートの早い移動のせいで、南にあった北海道が北へ移動したさまを地図で見て、
アイヌが実は南方系の民族だったことも知り、あの風貌、納得がいった。
北の民族なのに、モンゴル系の目が細いお面のようではなく、どうしてあのように濃い系なのだろうかと
ずっと気になっていたので、これで安心した。
今まで色々疑問に思っていたことでも、日本列島が実は、東西別々の島であったことを思うと、かなり
納得がいく。
平成19年8月23日(木)

アメリカ人の19歳の男の子二人を連れて、しゃぶしゃぶの食べ放題に行く。
3日前にも行ったばかりだから、本当はお肉なんか食べたくなかったけれど、この子達、お肉を
楽しみにしていたから、仕方ないので付き合う。
もう当分、お肉はいらない。
私はほとんど毎日お刺身を食べるから、その方が、ライフスタイルに合っている。
まあ、半分は、イヌおちゃんにあげるために買っているのだけれど、鰹のたたきの好きなこと。
回りのさっと炙ったところが、やはり歯ざわりが良くておいしいのだろう。
その証拠に、マグロのおさしみはあまり喜ばない。
平成19年8月22日(水)

昨日撮影で、母のお誕生日ができなかったので、一日遅れで、京懐石みのきちへ行く。
母が足が痛いので、近いところで、住友ビルの方へ行く。
京都の本店は創業290年とのことで、アメリカができる前から商売をしているのはすごい。
8畳のお部屋に縁側みたいな畳2畳の空間がつくから、実質10畳で、しかも、本物の鈴虫が
鳴いているから、変なBGMなどいらないのだ。
毎年卵から孵すとのこと、さすが。
お料理もおいしく、おみやげにうなぎ寿司も頼んでしまった。
雅子様もおいでになられるというお部屋を拝見させていただいた。
椅子とテーブルのお部屋だった。8名用のお部屋。

さて、帰りに住友不動産の新築そっくりさんのbefore & afterの写真を見ていたら、どちらがbeforeで
どちらが afterかわからないのがあった。
ビルの窓は財産で、窓があるかないかで、不動産価値が数百万円は変わると思うのに、なんと
施工前は窓があるのに、施工後は、何階建てだかのマンションの外壁が塗りつぶしてあり、すべての
階から、窓が失われている。
これは、改善ではなく、改悪しているだけではないのか、それとも私の身間違いなのかと思った。
見間違えではないようだ。
信じられない。窓を失くして、部屋を暗くして、照明器具で補うのは、地球環境に悪影響を与えるとしか
思えない。世の中の流れに逆行している。
私は閉鎖空間にいると生物の生命機能が低下する気がするので、あくまで、自然との接点である
窓や開閉扉を重要視したい。

ジークフリートが、今日到着したイタリア人の友人に、リューベックのハートのマルチパンを持たせてくれた。
私は「猫の舌チョコ」をリクエストしていたのだけれど、マルチパンはすごくおいしいし、私はすぐに、
エーリッヒ・ケストナーの「小さな国境交通」を思い出してしまう。
あれを読んだのは23歳の時なのに、その部分が鮮明に蘇るとは、人間の記憶はおもしろい。
あの時は、勉強だと思って、いちいち原稿用紙だかノートだかに日本語の訳文を書きながら読んだけれど
今だったら、そんなにまどろっこしいことはしていられないから、なんでもざっと斜め読み。
これは、態度が投げやりになったとか、多忙になったというより、一定時間における情報収集量が
多くなったということなのかもしれない。
平成19年8月21日(火)

「ロンキューハイランド」の撮影で日本テレビへ行くと、サンバ隊の隊長がカメリハに来ていない。
台本を見ると、隊長の入り時間が午後になっている。
これまでずっと、カメリハに出ていたのに、今回からカメリハで代役がやるようになったのは、ひとえに
隊長が今日から「タレント」扱いになったからだと考えて良いのだろう。
ダンサーたちはというと、いつののように昼のカメリハから参加。
私はそれをちっとも苦に思わない。
毎回違う顔ぶれのダンサーを連れて来て、そのうちの一人は大抵番組参加初めての人だから、
カメリハで練習をさせていただけるのは、むしろ大変ありがたいこと。
カメリハがなくて、いきなり本番に来てくださいと言われる方がよほど困る。

ところで、今日生まれて初めて榊の葉を買った。
どうしてかというと、木という字に神と書いて榊という字にしたのは、ゴルゴダの丘で架けられたのが
十字架ではなく、実は木であった、しかもその木が榊の木で、逆さに架けられたから逆木で榊なのだ
というのを読んでからというもの、ずっと気になっていたから。
本当は対で挿さないといけないのに、半分人にあげてしまい、私は残りの半分をポトスと一緒の容器に
生けた。
神社関係者が見たら、なんたる冒涜と思うかもしれないけれど、榊を買っただけでも、進歩。
平成19年8月20日(月)

フランス人とお昼にスキヤキの食べ放題へ行ったけれど、二人ともあまり食べられなかった。
普段こんでいるこのお店、今日のように暑い日は、さすがに空席が目立った。
こんな日にこういう季節感のないものを食べるのは間違っているのかもしれない。

「良いものは短ければもっと良い」という言葉の如く、稲妻のように短い2曲だけのショータイムをする。
だらだら長くやるより、ずっとインパクトがある。
それにしても千代田区二番町のあたりは、いい建物が多い。
そういう地域に住んでいる人が、新宿区中井あたりの貧乏地帯を見たらさぞかしカルチャーショックを
受けるだろ。
どちらもそれぞれの家の中にある家電の種類や、食べているおかずの品数などは、あまり変わらないのかもしれない。
しかし、結局、決め手になるのは、内面それに加えて外見にいくらかけられる生活様式かに尽きるのだと思う。
さて、本番後、ジークフリートに久々に会う。
「髪を変えたね、素敵になったよ」と言われて、とても幸せな気分。
日本人の男が言って不自然なことを、金髪碧眼のジークフリートが言うとどうして自然なのかというと
それは言語と人種だからなのだと納得する。

平成19年8月19日(日)

富士山に古代王国があったという説は実に興味深い。
三千人の若い男女が除服に攣れられて850隻の船で大挙して日本へやって来たというのはすごいスケール。
朝鮮半島から渡来した騎馬民族に滅ぼされてしまったのは、なんとも残念なこと。
やはり、機動力のある馬を持たない国は滅ぼされてしまう。
それが車輌にとって替わられたところで同じこと。
ところで、それらの船はどうしたのだろう。
倭人が大陸へ行く時に使用したのだろうか。
そのまま日本海の浜辺に朽ち果てるまで放置したとも思えない。
不老長寿の蓬莱山の水を今からでも遅くないから、飲み始めようと思い注文した。
伊豆半島が日本本土に衝突した時の模様や、富士山の爆発で、富士山麓にあった湖が、
干上がったり、溶岩でせき止められたり、つながったり、分かれたりして富士五湖になった経緯が
克明に記載されている宮下文書はただものではない。
どうして、こういうおもしろいものを、学校では教えないのだろう。
本当におもしろいものは、学校の外で自分で勉強したことだけ。
学校は勉強に目覚めるきっかけをつくるだけでいい。
それで十分に役目は果たしている。

平成19年8月18日(土)

紫のサンバを依頼。
そのうち紫サンバでお目見えする日も近い。
紫を入れると色が豊かになる。
ところで、白のジャケットの殺風景さにもまいったものだ。
次回ネパール人の仕立て屋に行ったら、七色の虹色にライムストーンを白のジャケットに
縫い付けるように依頼しようと思う。
その際、色の配色の順番もうるさいほどに厳しく指定しないと、隣の色が合わないのに、
平気で縫いつけられてしまう心配がある。
自分が美しい配色だからこうしたいと思っても、人は、自分の判断でぜんぜん合わない色同士を並べる
可能性だってあるのだから、絶対にこの順番でお願いしますと、正しく指示を出さないといけない。
なんでこんなふうにできてしまったのという場合、ほとんどは、指示が不適切か、不足しているからに
他ならない。
その場合、つくる人には自分の意思や判断を完全に殺してもらわないといけないのだけれど、タイ人は
その点、変に自分の趣味を加えるから問題が起きる。
このネパールも問題児で、大きめにガバガバに縫製するから、あとでつままないといけなく、本当に
二度手間。
シルクローズは反対に、ぱつぱつに仕上げるから、やっとファスナーが閉まるようで、それにも苦労した。
最初からその中間に仕立ててくれるお店が見つけられればよいのだけれど。
平成19年8月17日(金)

インカのナスカの地上絵もユダヤ人が描いたとのことで、あれは、三本あるから、カッバーラだとの
ことだけれど、そうか、宇宙人がやったのではないのか。
信じられないことに、明日香の都も、空から見ると、人型になっていて、手に盾と矛をもっている。
しかも、頭はなんとか山をそれに充てている。
鳥の目を持ってしか、そんなことわからないのに、どうやって何もないところにつくったのだろうか。
遷都した後、明日香はどうなってしまったのだろう。
全員が引越したわけではあるまいだろうけれど、ほとんど無人の廃墟となってしまったのだろうか。
私が明日香へ行ったのは、23歳の時だから、あの当時と随分変わって、きゃぴっとした観光地に
なっていたらいやだなと思う。
碌な知識もないまま、あのような場所へ行き、本当にもったいないことをしたと思う。
酒船石も三本の線があるパッバーラだと当時知っていたら、私のその後の勉強や歴史、文化に対する
理解にどんなにかプラスになったことだろう。
よりにもよってユダヤ人の彼氏と、明日香、奈良、京都と、秦氏の本拠地を歩き回ったのは、今思えば
信じられないこと。
今の知識を持ってあの場所にあの姿であの人といられたら、もっと実り多い旅になっただろうに。
機会があったらまた行きたいけれど、今は、もっと勉強したい。
平成19年8月16日(木)

朝からオックスフォードの5名を連れて温泉に行く。
両親に連れられて、以前日本に来た人が何人もいるというのに、温泉体験をしていない。
裸で他人と一緒にお湯に浸かる体験をさせるのは、特に頭でっかちのこの人たちには大切なこと。
この夏は、私はお客が多くて、まったく旅行へ行かれない。
今年は居候がいないから、猫や植物を頼めないということも大きな原因。
今日も午後からフランス人が二人来た。
かわいそうに、スーツケースはまだモスクワにあるという。
だから、アエロフロートなど乗らなければいいのに。
日本人のこの私がシャルルドゴールで乗り換えてフランクフルトへ行ったというのに、どうして
この人たちモスクワ経由。
私はアエロフロートなるものに乗らなくなってから久しいが、当時は、アエロフロートしか通っていないような
辺鄙な場所、ブラティスラヴァなんていうところへ行ったりしたから、仕方がなかった。
それにしても、あの飛行場の案内板はすごかった。
モスクワ、リガまでなんていうのは、まだいいとしても、ピョンヤンなんていう行き先があったりして、
え、そんな所へ直で飛ぶ人って、そんなにいるわけと、びっくり仰天したものだ。
それにしても、スチュワーデスのぶっきらぼうで、ブスでデブだったこと。
コークのまずさは、汚染された水か何かを使っていたからか。
飛行機の狭さはゼロ戦並で、小さいこの私が狭いと感じていたのだから、大きな向こうの人は一体
どうしているのだろうと思うと、背中をかがめて、申しわけなさそうに乗っていたのを思い出す。
新幹線の座席ではあるまいし、進行方向に向かって反対側に座る席もあり、お向かいさんの
顔を見ながら乗るのは、トランプとか一緒にできて楽しくもあるけれど、安全上、大変問題があると
シロウトでも思う。
まあ、あの国は、安全なんていうことは別に関係ないのだろうけれど。
無料の人材がいくらでもいますからなんて具合に。
平成19年8月15日(水)

敗戦の日を歴史の本を読んで過ごす。
父の生前、日本の古代史に目覚めていたら、どんなに楽しい会話を交わしていただろう。
私はとんでもない外国かぶれの馬鹿な少女だったから、日本の物をかっこ悪いと思う気持ちが
実に18になるまであったように記憶している。
どこの家のはねっかえりの馬鹿娘も、いずれは、日本の歴史がおもしろくて仕方ないという境地に
なるのだろうか。
ひとつ理解できないのは、どうして秦氏は、イスラエルということをそれほどまでに隠さなければ
ならなかったのだろうということ。
「古事記」や「日本書紀」に散りばめた数々の謎解き、粉飾、創作。
歴史の表舞台から隠れなければいけなかった理由はなんだろう。
スペイン人がマヤやインカ文明と遭遇した時、攻撃し、完全に滅ぼし、殺し、奪い去り、旧世界から
移民が大挙して押し寄せ、スペイン文化を強要した。
しかし、秦氏は、水が浸み込むがごとく、日本の社会の中にじわじわと入り込み、自国の文化を提供し、
自分たちの思うように日本の基礎をつくりあげてしまった。
多勢に無勢で入り込むときは、頂点を切り崩し、自分が裏にまわりながら、実は自分がすべてを
仕切るようにした秦氏の行動力は実に見事なものだ。
ひとつ気になるのは、秦氏は、しばしば同族会議のようなものを開いていたのだろうか。
どうやって、各地方の情報を交換しながら、じわじわと日本の基礎を築く側としてふるまっていたのだろう。
私たちは征服者です、神社を建てます、今日からこの言語を学びなさい、これはこうしなさい、
ああしなさいという、そういう時期はなかったのだろうか。
大陸からやって来て、言語はどうだったのだろう。
騎馬民族は、日本の原住民と何語をどう話したのだろう。
平成19年8月14日(火)

「宗教改革は、改革されたとたんに再び改革される運命にある、と考えます。
それにプロテスタントのあの狭量。
人間の本性を知らなさ過ぎます。
神と私の対話以外にないとはいえ、人はその間に直接の許しや、寛大な受容を求めます。
牧師たちは落第。お説教で人の秘密をばらす人が多い。
神父様たちは、そういうことがありません。
もちろん全員試したわけではありませんが。
改宗して一番楽になったのは自分自身でした。
五百年と二千年の違いは争えません」
というお便りを人生の大先輩からいただき、深く考えさせられた。
私は、宗教改革を経た時代に於いて、プロテスタントからカトリックへ改宗する人がいるなどという
こと自体が、信じられなかったので、その方に質問したのだ。
「それにプロテスタントのあの狭量」というのも、すごく理解できる。
偶像崇拝だと言われるのを恐れる余り、ものすごく殺風景で汚い場所にも平気で甘んじる。
美しいものの傍にいてもいいではないか。
それを手に入れるために労働をしようという気持ちになるのは、健全な動機なのではないか。
美術が栄える場を失ってしまうような雰囲気は、芸術史的観念からいって、許されるものなのだろうか。
そうか、美術や音楽(生演奏から録音になってしまった)や様々な活動や行事が否定されているから、
毎日曜日に教会へ行っても、自分は殺伐とした気持ちになってしまうのだと感じた。
かつてカトリックが世界征服の道具に使われたのは許せないと思っていたけれど、現代の世に於いて
プロテスタントはカトリックの長所をいただいても許されるのだと思う。
ステンドグラスがないのは、寂しいし、主の祈りひとつとっても、今のようにただ唱えるのではなく、
パイプオルガンの和音で斉唱するやりかたの方が私には馴染み易い。
平成19年8月13日(月)

朝、植物の水遣りと、猫さんのお世話を済ませ、冷たい健康茶を飲んで、シャワーまでのひととき、
寝転がりながら、読書をするのは至福の時。
以前から気になっていたことがようやく解けた。
聖徳太子はキリスト教(景教)の影響を受けた神道信奉者なのに、どうして、仏教の馬子の側について
対物部戦を闘ったのか、理解できないでいた。
その部分が今いち、気にかかり、「仏教の」聖徳太子というイメージを不快に思っていた。
久保有政著の「仏教の中のユダヤ文化、聖書から見た釈迦の教えと聖徳太子伝説」はその意味で、
私が長年にわたり疑問に思っていたことを、よく解説してくれている。
平成19年8月12日(日)

エパタ教会で礼拝前に水を撒いていたら、あまりにひどくやぶ蚊に刺され、礼拝の間中、腕や足を掻いていて
本当にみっともないことこの上ない。
次回から長袖で来ないと。
秋になるまで、完全武装が必要だ。
これらの蚊を食べるトンボや小鳥たちがいるのだろうと思うと、その食物連鎖を断ち切ることはできないから
そのままにしておくしかない。
平成19年8月11日(土)

日本の民謡に登場する、わけのわからない囃子言葉は、実はヘブライ語だったと知り、
ユダヤ人がいかに巧妙にそれらを歌に潜ませて、日本人に教え、定着させ、千年の時を超えて
いまだに歌わせているかを知り、愕然とした。
いつかその秘密が明かされる時を期待してそうやったのか、それとも、完全に隠そうとしたのか不明。
なぜ、そんなにまどろっこいことをしたのだろう。
ルーツを明かしたらどうしてまずかったのだろう。

「ハッケー ヨイ ノコッタ」(撃て、やっつけろ、打ち破れ)
「ジャン ケン ポン」(隠して、準備せよ、来い)
「スチャラカホエ」(私は自ら彼を引き渡します)
「ヨイショ(ヨー イシェオ」(ヤハウェが助けて下さる)
「ヤーレン ソーラン(ヤー レ ソーラン」(ヤハウェが助けて下さる)
「ドッコイショ」(征服せよ蝦夷を)
「アーリャサ(アハレリ サー)」(私は王権者を讃えます)
「エンヤラヤ(エァニ エハレル ヤー)」(私はヤハウェを讃美します)
「エッサ」(上げろ、我を上げろ)
平成19年8月10日(金)

九段法務局を出ると、なんと美しい景色。
靖国神社ほど人の注目を集められる神社が都内にいくつあるだろう。
明治神宮の方がお正月の参拝者はあるいは多いかもしれないけれど、話題性では断然靖国。
私は子供の頃、明治神宮にはお正月でなくても、ピクニックとかにしょっちゅう連れて行ってもらったけれど、靖国へは
一度も連れて行ってもらったことがなかった。
四ツ谷からあんなに近いのにどうしてと思うけれど、それは、多分、浄土真宗信者の父方の祖父母の意向
だったのかもしれない。
ものごころついてから、自分で行くようになった。
それも最初は、手ごろなお花見の場所として。
だから、お花見だけして、遊就館の見学などしなかった。
このような場所は、学校の社会化見学で早い時期に連れて行き、展示内容については、自分で判断させるべきだと思う。
平成19年8月9日(木)

アメリカ人とお昼にしゃぶしゃぶの食べ放題。
現象面の話しかできない人は実に退屈。
小さい子供だと、内面世界や、蓄積された知識が少ないから現象面の話をしても、仕方ないと思うけれど
30歳近くなった男がこれでは情けない。
もっと情けないことは、このくらいの男でも、日本人の女を彼女にしていること。
在日外国人を考える時、ヨーロッパ人と比べてアメリカ人の平均知的レベルが著しく低いのは、
それはひとえに、ALT難民が押し寄せるようになったからだと推測される。
英会話ジャパゆきの社会的地位は、今後もどんどん下がり続けるだろう。
興行ビザがそうであったように、英会話ジャパゆきのビザもそのうち、もっと審査が厳しいものと
なることを願いたい。
平成19年8月8日(水)

大久保マンションの総会。
会場の冷房が寒すぎ。
信用できる人が管理組合の理事長なので、ここのマンションは本当に気持ちがいい。
宮廷22マンションとは大違いで、区分所有者がたくさん参加しているし。
やはり、理事を輪番制にしているところは、不正が起きにくいのだろう。
食事時間にかかる会議の時は、軽食やお飲み物をご用意下さいなどの指示をするのもよいかもしれない。
平成19年8月7日(火)

「あれだけ多忙で売れっ子の芸人さんが常に元気そうで明るく気配りできること、私のような末端の人間の一ヵ月前の
衣裳の色まで覚えていて伝えてくださることに驚嘆しました」という感想をダンサーが持ったことで
改めて、この業界で長くお仕事をしているロンドンブーツのあつしさんは、人間的に素晴らしい方なのだと
実感した。
一週間に何本もレギュラーを持ち、その間に他のお仕事もたくさんなさっている、そして、その多くの
お仕事の中のほんの1本である「ロンキューハイランド」の一つのコーナーのサンバ隊のダンサーの
衣裳の色、それも一ヶ月前に撮影したというのに、覚えていて、それについて声をかけて下さった。
そういう思いやり、気の配り方がすごい。
つんつんしていたり、しらーっとして、ダンサーを無視する芸人さんだっているというのに。
今日の出演者は、二人ともこの番組の撮影参加3回目なので、慣れていて、うまくいった。
いつもは、どちらかの人が初回のため、きっかけをはずしてしまったり、隣をチラ見をして、それが
しっかり映っていたりで冷や汗をかくのに、今回のように慣れている人同士だと助かる。
しかし、同じ人ばかり出ていると、まだ出ていない人に機会を与えられないから、新しい人にも
その度に教えながら出演の機会を提供しないといけない。
踊りはコピー、ペーストができないから、ひとつひとつ、一からしないといけない。
ご苦労なこと。
平成19年8月6日(月)

夏の海水浴場の民宿のような混み具合になってきた。
勉強時間も思うようにとれない。
部屋を増やすか、人を減らすかしかない。
当分部屋は増やせないから、予約を取らないというよりは、ツインの部屋をつくらないことだ。
旅館は結局どこで稼ぐかといったら、一部屋当たりの売り上げを多くすることだけれど、それは
広い部屋を持つ旅館のやること。
私は自分のスタンダードを崩さないようにしていかないといけない。
ところで、大陸から半島経由でユダヤ人がやって来たというのとは別に、シュメール人が
千葉だか茨城県に船でやって来たという説を説く、元船長は多勢に無勢でさぞかし寂しかろう。
しかし、鹿島神社の存在を考えると、船でしか来られないというのがわかる。
大陸から出雲まで来た騎馬民族とはまた別の人々が来たのだろうか。
それで、言葉は落としていかなかったのだろうか。
この船長さんは、道楽でやっているような感じを受けるから、アカデミズムの人々は無視するのだろう。
でも、思い込みで古代船を注文して航海するなど、大変な情熱かだと思う。
シュリーマンだってそうだった。
「馬鹿になれ、大馬鹿になれ」という小原邦芳先生の言葉を思い出す。
ほんの少し片手間ではだめなのだ。
全力投球しないとできないことがある。
平成19年8月5日(日)

先週一回抜けてしまったけれど、今日は久しぶりにエパタ教会へ。
連翹が信じられないほど大きく育っている。
直植えのクンシランやアロエも元気だ。
土は素晴らしい。必要な栄養がすべて用意されている。
神様のお庭だから、ますます良く育つのだろう。
レッスンの後、ジュリアたちが来て、ここで最後の夕食。
明日、帰国する。私の留守に、にゃんぐさんたちの面倒を見てくれた。
これまで、私の留守のたびに、ファビアン、アニール、ミヒャエル、フレデリックそして、ジュリアが
お世話をしてくれた。
この子たちは、なんて幸せなのだろう。
でも、これから当分は私は出かけられない。
ジュリアとクリストフが言うには、ポーランド人は自分勝手だから、国がなくなるような事態になったのだと
言う。信じられない。
国の運命より、自分の目先の損得に走るそうだ。
ポニャトフスキは本当は退位しなくてもよかったのだ。
しかし、エカテリーナ2世を愛しすぎた。
むこうはどうせ、やりたい放題の自分勝手な女なのだから、ポニャトフスキは独身を通したりせず、
ハプスブルクかプロイセンか、どこかの王女とでも結婚して後ろ盾をつくっておくべきだった。
王の個人的な感傷など、国民のために犠牲にすべき。
そうでなければ、甥にでも王位を譲って、思い出に浸ればよかった。
平成19年8月4日(土)

阿刀田さんの説によると、イエス様と弟子たちは、予言に明記された復活を実現するために、
みんなで演じたという。
推理作家ならではの意見だ。
こんなことは考えたこともなかった。
なんという大きな賭けだったのだろう。
でも、状況から考えて、これは可能だったのだろう。
イエス様が復活して現れたのは、弟子たちの前ばかりだったといのがまずおかしいという。
そうか、そんな考え方があったのだろう。
時が時なら、そんな発言は、宗教裁判にかけられてしまっただろう。
しかし、復活後のイエス様を演じた人も含めて、みんなであらかじめ計画して行ったのだったとしたら
そして、2千年の時を経て、ゆるぎないものにしたのだとしたら、この計画は大成功だったのだ。
平成19年8月3日(金)

新しい住宅ローンになってから、月のはじめにそれが来るので、調子が狂う。
毎月25日というのに慣れていたものだから、うっかりすると忘れそう。
あぶない。
平成19年8月2日(木)

スペイン人合気道家たち7名が到着。
マリカ民宿大忙し。
去年冷房を7台買ったから、今年は1台しか買わなくてもすんだ。
ほとんどすべての部屋を低反発マットにしてしまったから、ぐっすり休んでいただける。
設備投資は先にしておいてよかった。
平成19年8月1日(水)

ジークフリートと神楽坂でお寿司を食べる。
いつ見てもこの人は、本当にさわやかだ。
一緒に自転車に二人乗りをして楽しかった。
神様からいただいた光を持った人がたまにいて、もらっていない人もたくさんいる。
ジークフリートは、明らかに神様からその存在を愛されている人だと思う。
私のまわりには、そういう人がかなりいる。
平成19年7月30日(月)

朝3時半にホテルを出て空港へ。
この便は本当に殺人的な出発時間だけれど、その分、東京に着いてからいろいろする時間があるのがいい。
ジュリアとクリストフの二人が子供たちのお世話をしてくれていたので、死んだ子は誰もいなかった。
昨年は、藤のツルがすべて葉を落としてしまい、オシロイバナはしおれ、ゴムはカラカラ、ひどい状態に
なっていた。
回復するのに半月もかかった。
フランス人の酒飲みに頼んだ私も悪い。
猫が生きていただけでも、せめてもの救い。
今回は、ベランダの子達もみんな元気。
本当に良い人が、この時期に滞在してくれていたものだと、神様に感謝する。
平成19年7月29日(日)

美容院のママさんにはついに会えなかった。
このママさんが、よその美容院から独立して、8年ほど前に店を持った時から私は毎回通っていた。
ママさんはスウェーデン人のご主人がいて、垢抜けて、英語も上手なので、欧米系の客が多かった。
ところが、ママさんが自分が店に出ないで人任せにするようになってから、客が減ってきた。
英語が満足に話せるスタッフが一人もいなくて、これでは、店は回らない。
津波の頃を境に、回復できないほどにまで、落ち込み、来月の半ばで店を閉めるとのこと。
プラットナームは、4軒の美容院へ行ったけれど、これで全部なくなってしまうことになる。
フェイシャル、ネイル、マッサージ、頭、まつ毛、これら全部一緒にやってくれる気心知れたところを
次回は開拓しないといけなくなる。
面倒くさいこと。
シャンプー、ブローで500円くらいだから、タイへ来ると、自分でシャンプーなんかしない。
毛皮の直しを頼んだのに、絹は縫えても、毛皮は縫えないという人ばかりで、なかなか人が見つからない
というネパール人の店が、どうにかやって、今夜、ホテルに届けるというのをなだめて、まだやる人も
決まっていないのに、人を見つけて急いでやって、雑な仕事になるのなら、預けておくから、次回
来る時までにやっておいてと頼んでくる。
インディラ・ホテルの反対側の大通りは、ずらっと仕立て屋さんが並んでいる。
こんなにたくさん同じ店が並んで、いったいお客はどうやって選べばいいのだろうと思う。
インディラから少し離れているから、炎天下を歩くのは辛い。
私はインディラの中の店に頼んだ。
店自体は小さいけれど、やはり、場所が一番の決め手。
ホテルの近くに、広い庭園を持つレストランがあるのを発見したので、最後の夕食はそこでする。
客筋は全員欧米系。
ここは、以前、富豪の屋敷だったのだろう。
建築が本当にいい感じで、バリだったらこういう、自然の中で食べるような場所がたくさんあったのに、
バンコクは、ここを含め2箇所しか知らない。
雰囲気は抜群で味もおいしいけれど、蚊の襲撃には悩まされる。
蚊よけスプレーをテーブルに置いてくれるけれど、そんなものでは足りない。
一番小さいサイズのキンカンをバッグに入れて歩かないと。
ホテルの1階でフット・マッサージをする。
今夜は寝てはいけない。
夜中の3時に準備して、3時半にホテルをチェックアウトだから。
平成19年7月28日(土)

ガブリエルからメールが来て、今夜一緒にご飯を食べる約束をしていたのに、自分は、タイのビザが
必要だと知らなくて、入国できず、仕方がないからビザ不要のヴェトナムに行ったから、夕食できず
ごめんなさいと書いてあった。
へー、ロシア人でさえ、入国審査の時に空港で取れるというのに、どうしてこの人の国籍だとだめなの
だろう。
きっと、空港で出来ることを知らずに、パニックになり、入国可能なところへ急いで飛んだのだろう。
それにしても、日本の旅行会社が悪すぎる。
航空券の販売の際に、あなたはビザが必要だということを言わないで、ただ航空券だけ売るなんて
そんな商売あるだろうか。
この人のことだから、きっと泣き寝入りするだろうから、帰国したら私が掛け合ってあげないといけないかも。
私が言うと、だいたいのことは通る。
オールド・サイアムへ行ってお買い物をするために、ふらっと2階へ上がった。
100軒ほどある絹織物店をのぞいていたら、あら、マリカさんなんて、声をかけられた。
まあ、由美子さんではないの、しかも、由美子さんは、電話中で、話している相手は、なんと、
かおりちゃん!!!
この天文学的確率の出会いは、神様の贈り物。
どうして、このようなことがあり得るのだろう。
由美子さんは、タイで着物を縫って生活している。
そういう人生もあるのだなと感心してしまう。
私も何着か作っていただいたけれど、2回しか着ていない、申しわけない。
作っていただくのは楽しいけれど、着る機会がない。
コーヒーを飲んでアソクのブーツ屋さんへ。
編み上げのサマーブーツが好評だったから、今度はそれを、ブラウンで、もう少し丈をショートにして
頼んでくる。
ひとつのブーツを頼むのに、見本が5足。
この色で、このヒールで、この底で、このデザインで、この高さで、爪先の中央の位置はこれで。
つっかけサンダルはともかく、ブーツは自分のためにカスタマイズされたものしか履けない。
これも、かおりちゃんの紹介のお陰。
美容院でシャンプー、ブローとフット・マッサージをしてから、ホテルでシャワー。
本来ならガブリエルと食べるはずの夕食を再びクリストファーと食べる。
今日の場所は寒すぎて、おいしいはずの海老の味もよくわからない。
平成19年7月27日(金)

朝からあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
必ずすることは、1時間か2時間おきに、ヤシの実ジュースを飲むこと。
以前はオレンジを飲んでいたのだけれど、今回、なにか薄いなと感じたことが1回、それから、なぜか
甘すぎると感じたことが1回、それで、ヤシの実のみに切り替えた。
オレンジは、しぼっているので、空気に触れると酸化しやすいし、水や砂糖を加えることも可能。
だから、なにも手を加えられないヤシが一番。
いつもは、日曜夜にこちらに到着するように来るから、月曜日から行動ができる。
しかし、今回はすでに本日が金曜日。
明日は国際宅配運送会社が半日営業、日曜は休み。
そんなので、どうやって、貨物便の予約や積み込みなんかできるのだろう。
なにも考えずに飛行機を取ってしまった私が悪い。
さて、恒例の絹屋だけれど、以前の店員が皆、いなくなってしまった。
客はお店につくのではなく、お店の店員につくのだ、特にママさんに。
ママさんいなくなったら、どうやってデザインの相談をすればいいの。
英語の達者な、端正な顔立ちのインド人の変わりに、今、馬上から降りてきたようなモンゴル顔の
韓国系タイ人、それも汚らしいロング毛の男が、つたない英語で対応した。
もういやだ、他の店に行こう。
結局、シルクローズに昨年11月から預けてあった白い毛皮と、黒いコートを引き上げて、別の
仕立て屋に引き渡す。
以前のママさんがいた頃、シルクローズは、いつも欧米系の観光客でごったがえしていた。
ドレスや背広を作る客が次々と訪れ、ママさん自慢のデザインの商品が広い店内を飾っていた。
それが、そのママさんがいなくなってから、店は半分の大きさになり、飾ってある商品も代わり映えしない
つまらない物ばかりになってきた。
新しいデザインの商品を飾らなかったら人は来ないのに。
さて、ニット屋では、コバルト・グリーンの上下を買う。
もう、ここのものは何ひとついらないと思っていても、ニットだと、つい何か買ってしまう。
私は絹とニットしか着ないと決めているから、買うのはいいけれど、減らすのに困る。
結局、あちこちへ行って忙しかったから、美容院へ行く暇もなかった。
クリストファーと晩御飯の約束をしていたので、ビッグCの上で、タイスキを食べる。
この建物が出来た時から、毎回、最初の夕食はここへ来てしまう。
ワールド・トレード・センターが、セントラル・ワールドになって、ものすごく立派になったので、
ためしに、その上の方でマッサージを受ける。
平成19年7月26日(木)

11歳の生徒さんのおかあさんから、こんなメールが朝、届いた。
「夏休み中ですが、今日学校の担任との面談がありまして、
文部科学省が実施している体力テストでAランクの評価をもらいました。
クラスでうちの子供一人だそうです。
柔軟では10の最高点でした。
子供がダンスしてて良かったっと言っていました。
私も、そう感じます。
ありがとうございます」
天才リズム感の訓練をしているので、踊りの練習をしながら、能の訓練がされている。
自分のやってきたことが正しかったのだと実感できた。
いい朝だった。

ノースウェストのこの便は、半日たっぷり仕えるから便利。
成田を7時に出て、夜中の11時半に到着。
ホテルのチェックインは真夜中。
バンコクの新しい空港は本当に使えない。
以前の空港の方が、出てすぐにタクシーがあって便利だった。
平成19年7月25日(水)

レッスンの後、急いで教会へ。
エパタ教会の水曜聖書教室は、また私一人だった。
弥生時代の墳墓から発掘されるもろもろの中に、木片に縦書きで文字が書いてあるそうだが
決して横ではない。
だから、騎馬民族が日本に渡来して、文化を築いたことを信じない人々は、どうして、横書き文化が
伝播しなかったのかというところを指摘すると、石田先生がおっしゃった。

やはり、天皇陵の墳墓を開けてみないと解明できないことが多い。
平成19年7月24日(火)

うーん、騎馬民族のガド族の辰王が、渡来して、邪馬台国その他の小国を駆逐して、
短期の間に中央集権の政府をつくったのか。
非常におもしろい。
先住民の王の家系に婿入りすることで、先住民の人々の心象をよくしたことは、あっぱれな
計算。
平成19年7月23日(月)

私はいろいろな人と一緒に踊る機会があるけれど、まず、肌を見てしまう。
そこにすべて現れている。
何年も前に、小さい男の子がお稽古に来ていた。通常、4歳というと、ほっぺたが、ぷくぷく
すべすべしているのに、その子はその年齢だというのに、肌が荒れていた。
どうしたら、こんなふうになってしまうのだろうと不思議だった。
母親が、マリカ先生のところへこの子を数日泊まらせて欲しいと言ってきたので、どうぞと引き受けた。
当時はまだ大久保でやっていた時だったので、100平米あり、部屋もいくつかあったので、その子や
お世話をするための他の生徒さんが泊まるのには問題なかった。
その男の子の話によると、家で晩御飯を食べていないというのだ。
私は耳を疑ったけれど、おかあさんが夕方、水商売の仕事へ出る時に、袋菓子をたくさん与えている
とのこと。
保存料や防腐剤、人口甘味料、着色料が入ったものばかりを、4歳の子供が、テレビを見ながら
家で一人で食べているなど、信じられない光景である。
寂しくないかと訊ねると、三番目のお父さんが来てくれるから平気だと言って、写真を見せてくれた。
まだ、高校生みたいな男の子ではないか、何がお父さんだ。
バーテンダーでもやっている若い男に、世話をさせているのだなと想像した。
神様はその子に、一度見るとすぐに覚える、すばらしい才能を与えた。
大人と一緒にお稽古をさせても、その子の方が先に覚えた。
早く覚えるから、同じ時間内での情報収集量が違う。
これはすごい。
見たかたちや、聞いた音を、本能的に瞬間に捉える能力がある人がたまにいるのだ。
才能のある人を見ていると、どきどきする。
しかし、私の経験から、才能のある子供が必ずしも、その才能を伸ばす環境の中に置かれているとは
限らない。
むしろ、多くの才能が、伸びずに、空しく浪費させられている場合の方が多いのではないか。
神様からいただいた宝物を生かすも、殺すも、子供自身はどうしようもないことなので、いかに親の
知性が大切かということ。
数年前に、フィリピン人ホステスの子供がお稽古に来ていて、午前午後連続の練習に、やはり、
一人お弁当を持ってきていなかった。
見かねたインストラクターが、何か買ってあげたりしたけれど、どうしてお弁当を持って来なかったのと
聞くと、おかあさんは、朝は起きられないのだという。
じゃあ、この子は、朝ごはんも用意してもらってなく、お昼弁当も、それを買うお金も持たせてもらってなくて
お稽古に来ていたということになる。
結局、私はその母親と大喧嘩をする羽目になった。
フィリピン人で、女、しかも現役のホステス、このみっつの条件が揃った人相手に言い合いをしても、
時間が無駄なだけ。
子供を救おうなどということは、考えないことにしないと、こちらの精神が持たない。
気の毒だけれど、そういう親の元で育てられた子供は、ろくな大人にならないけれど、そういうことに
目をつぶって、どんどん自分は先に進んでいかないといけないのだと言い聞かせた。
私は、どうしても、おせっかいなところがあり、見ていられないとか、なんとかしてあげたいと
思ってしまうけれど、見なかったことにして、心を鬼にしないといけないのだろう。
日本の永住権を取得するために日本人の男との間にできた子供を出産するのを、法律で規制
できないのだろうか。
子供を生んでも永住権は取れない、水商売が生んだ子供は、日本国籍を認めないというのはどうだろう。
一番いいのは、水商売は、日本で出産ができない。
フィリピンで生んで、フィリピンで育てて下さい。
フィリピン人のホステスが育てた子供は、これまで何人も見たけれど、どういうわけだか、皆、一様に
甘やかされて、言語能力が発達せず、踊りで一番大切な瞬間判断能力に疎い。
日本人配偶者に遠慮して、叱れないのだろう。
石原氏に頑張っていただき、お水の親子を国外退去にしていただければ、治安が良くなり、教育水準が
上がり、社会不安が軽減し、日本の国益にかなうと思うのだが。
多分、都内の人口が数万人減るだろう。
ところで、肌の話に戻るが、ダンサーでも、驚くほど汚い肌をしている人がいる。
こんなの撮影でアップになったら、まずいと思うようなのにも出会う。
どうしたのと言うと、お化粧したまま寝たなど、わけのわからないことを言う。
生活習慣の悪さが肌に出る。それにしても、以前よくテレビで見た、残留孤児の人たちの肌の状態。
辛いことが多かったことを、肌が物語っていた。
その肌を見ただけで私の目は、涙でいっぱいになった。
それから、ジョンイルのところの、女兵士の肌。
まだ20代後半だというのに、あの肌。
50歳くらい上の残留孤児と同じ肌になってしまっている。
思うに、大陸の強い紫外線に容赦なく照り付けられて、何もお手入れをしないとこ、人間、ここまでなってしまうのだと
しみじみ納得した。
肌はつまり、歯と同じで、生活様式のステイタスなのだと思う。
心がけ次第でどうにでもなる。
しかし、自分の力ではどうにもならない社会状況に生活しないといけない女も人たちもいる。
その人たちの分まで、私たちはきれいにならないといけない。
日本の恵まれた湿気をありがたいと思う人でないと、きれいにならないのだと理解した。
不快指数なんて言葉を使う人は、到底きれいならないだろう。
湿気が美人をつくることを知らない人は、ニッポンにいるな!
きれいな肌を保つために、もう寝ないと。
平成19年7月22日(日)

朝はエパタ教会。筑土八幡の高橋さんに、教会の庭の片づけをお手伝いしていただく。
礼拝が始まるまでの間、露草を抜いていたら、手をカに刺される。
タートルネック、長袖、厚手の長ズボンに、靴下という重装備をしていたのにもかかわらずだ。
ここのカは、栄養がいいため、靴下の上からも刺して、いやあ、これはまいった。
次回は、軍手も持って来よう。
高橋さんは、私が礼拝に出席している間もずっと、草取りや、ごみ捨てをして下さった。
庭仕事が好き出仕方がないというこういうお友達がいることは、本当にありがたい。
どうして、このような人がたまたま隣に住んでいるのだろう。
これも、庭仕事のお手伝いを必要としている私に神様が贈り物をして下さったのだから、私は、
神様にお返しをしないといけない。
新宿オデオンというところは、今でこそ映画館だけれど、かつては、赤坂ミカド並のキャバレーで
歌手がいて、生バンドがあり、社交ダンスを踊りという、生文化があったところだということを、しみじみ
回顧する元歌手とエスニック料理食べ放題のお昼を食べる。
そういえば、80年代の後半頃、オデオンで、社交ダンスの練習をしに行った記憶がある。
私は相手役と行ったけれど、一人で行って、社交ダンスの若手の先生と一緒に練習するという人も
いたようだ。
そういえば、うちの生徒さんでも、そうやって実施に毎週踊って、随分お金を使ったけれど、腕を磨いた
という人がいたことを思い出す。
そこの場所は、今はどうなっているのだろう。
歌手がいて、生バンドがいて、ホステスさんが大勢いる。
社交ダンスの先生たちは、歩合給だろうけれど、これは、毎晩運営するのに、大変な経費がかかっただろう。
赤坂ミカドは、歌手だけではなく、ダンスのショーを入れて、しかも、アメリカからグループを招聘
招聘していたから、もっと、大変だったと思う。
映画館にすると、ぐっと経費が減るのだろう。
歌でも演奏でも、踊りでも、それらが、生だったから、文化があった。
それなりに練習を積まないとそこに登場できない水準の、見せる、聞かせる文化があった。
文化を享受する側と、文化を提供する側が完全に分かれていて、そこに、プロとシロウトの深淵があった。
しかし、カラオケ屋がはびこることにより、文化を享受する側と、文化を提供する側という公式が崩れ、
プロが消失し、シロウトが非常に低い水準のものを楽しむことになり、本物の文化にとって変わられる。
地方都市ではなく、それが、大都会の真ん中で起きたら、もう、これは、文化的水準の低下に他ならない。
映画も芸術だけれど、所詮、生上演ではない。
そう考えると、生で上演するものを、こよなく愛し、たとえ自分ひとりのためだけにでも国王の権限で
上演させたルードヴィッヒ2世は、つくづく素晴らし文化芸術愛好家にして保護者であったのだと思う。
平成19年7月21日(土)

今日は、お稽古ですごく疲れて、そのあと、フランス人の引越しを手伝わないといけなく、うわあ、
まいったと思い、1階の駐車場のところに立つと、いきなり、あの2羽のツバメがやってきた。
駐車場の中と、外の道の上を、何度か旋回して見せてくれて、巣に止まったりして、また、外へ
飛んで行った。
今のは、なんだったのだろう。
あのつがいだったのか、その子供なのか、よくわからなかった。
私に会いに来てくれたのか。
どうして、何時間もお稽古をしていて、やっと、階下へ行った私のその瞬間がわかったのだろう。
私の顔を見て、ありがとうと言ってくれた、元気でやっていると伝えてくれた。
それを言うために、わざわざ、天文学的な確率でしか得られないこの瞬間を狙って、来てくれたのだ。
やはり、このツバメは、神様の送られた天使なのだということがよくわかる。
ツバメに会えなくなった日、私が泣いたのも知っているのだろう。
何人の人間がツバメのために涙を流すだろうか。
私を喜ばせるためにツバメを来させて下さった神様に感謝します。
平成19年7月20日(金)

今日は、お昼にモーパラで、しゃぶしゃぶの食べ放題をしたというのに、夕食は、神楽坂で、ジークフリートと。
お腹を減らすために、神楽坂まで、ツール・ド・フランス並に自転車を走らす。
上り坂で思い切りエネルギーを消費しないと、ソーシャル・イーターとして、おいしそうに食べられない。
金曜の夜なので、予約をしていないとだめなようで、行きたかった鉄板焼きの店は満席のため
全国4種の銘柄鶏肉の店に行く。
これは、神様が、こういういい男とは、また近いうちに一緒にご飯に行きなさいと、次の機会を、すでに
ご用意して下さっているのだと、ありがたく解釈する。
神楽坂の奥に入ったあたりの、粋なお店の数々は、なにか、どことなく、シュトラスブルクの小路を
思い起こさせると私が言ったら、神楽坂の方が、数段素敵だとジークフリートが言う。
ジークフリートは、ブラピより、ベッカムより、数段上だなと思う。
美貌を言っているのではない。
弁護士で頭のいい人なのに、私に合わせて、ドイツのいろいろなことを的確に説明してくれるところが、大変ためになる。
食事の後、ジェラート・イタリアートの店に行き、楽しい金曜の夜だった。

神様、ありがとうございます。
平成19年7月19日(木)

「中国産キャンディからホルマリン
 政府は17日、防腐剤として使われるホルムアルデヒドが検出されたとして中国で製造されたキャンディ4種を
販売禁止とした。
  食品薬品局(BFAD)は、商品を回収を輸入業者、流通業者および販売店に指示した。
  この件について在比中国大使館は、3,000種類以上の食品テストで86%が標準に達していると指摘、
現在の輸入食品は安全だという声明を出した。(Star)」
フィリピン・ニュースに掲載されていた記事だけれど、このキャンディーは日本にも来ているのだろうか。
由緒正しきものしか口にしない、全世界が中国産食品全面輸入禁止(いい気味)にしないと
被害は増える一方。
中国がドイツを抜いて、世界第3番目の経済になろうとしているというニュースをBBCだかCNNで聞いて
唖然。
安さに負けて、中国製品を買う心の弱い人がいる限り、中国は肥え続ける。


ところで、私はいくら神様に感謝しても、感謝し足りないくらい、神様から贈り物をいただいていると
感じる。
今日も信じられないような偶然の喜びを手にした。
どうして、こんなにもよくして下さるのだろう。
神様にお返しすることが私の使命。
夜の聖書教室はまた、私一人だった。
遅れて入って行った私の耳に、お一人で歌われていた石田先生の賛美歌が聞こえた。
先生は、最初から歌いましょうとおっしゃって、音楽を戻して下さった。
平成19年7月18日(水)

つばめが巣立ちして、空っぽの巣がなんとももの悲しい。
私はこの数週間、何度つばめのために闘っただろう。
朝、つばめの声が聞こえない、出かける時に、家族全員で見送ってくれない、帰った時向かえてくれない、
気になる存在がいなくなったことで、非常に気持ちが空虚になった。
今頃は、どこにいるのだろう。
つばめの巣立ちというところに、こんなことが書いてある:
「1回目の繁殖を済ませたつがいの内、その半数以上がヒナが巣立っておよそ2週間後に同じ巣を使って2回目の繁殖をする。
この2回目の繁殖のヒナを2番子という。
2番子も7月中には巣立ちをする。
巣立ちを終えたヒナと親鳥は河川敷のアシ原などに集まり、数千羽から数万羽の集団ねぐらを形成する。
10月ごろに南の越冬地に旅立つ。日本で繁殖するツバメの主な越冬地は台湾、フィリピン、ボルネオ島北部、マレー半島、ジャワ島などである」
ということは、また、2週間後に同じ両親が戻って来てくれて、ここに滞在してくれるのだろうか。
しかし、2週間経ったら、すでに8月だから、期を逸してしまう。
私はすぐに、マンションの管理人に手紙を書いた。
「管理人殿
ツバメの子育てをあたたかく見守っていただき、ありがとうございました。
お蔭様で、子供たち全員、無事に、巣立っていったようです。
早朝いつも聞いていた、子ツバメたちの楽しい鳴き声が聞こえなくなり、本当に寂しく思います。
ツバメは、帰巣性があり、前年と同じ巣を修繕して利用します。
ですから、万一、再度、戻って来た時には、是非、現在の巣を使わせてあげたいと思います。
目障りで清掃なさりたいお気持ちもあるかと思いますが、広い新宿で、あえて、ここを選んで
来てくれたというのは、本当にありがたいこと。
つばめは、ここの住民みんなに、喜びをもたらしてくれました。
つばめのお陰で、うるさく、壁にボールをぶつけて遊ぶ子供もいなくなり、
また、駐車場で大声で話したり、用もないのにたむろす人々がいなくなり、住環境が良くなり、
多くの人が喜んでいると思います。
以上のような理由から、このツバメの巣を、撤去することなしに、来年もまた、
使わせてあげていただけませんでしょうか。
そして、つばめの子育てを住民一丸となって見守るという幸福を再び味あわせて下さい。
つばめがきっかけで、普段、話をしない方とも、自然にお互いにお話しをするようになり、
マンション内にお知り合いが増えたことも、喜ばしいことです。
つばめがお友達をつくってくれました。
来年も、同じツバメに会わせて下さい。
落ちた糞のお掃除は、私もお手伝いします。
管理人さんのご配慮をお願いする次第です」
正常な精神と判断力を持った人間なら、きっと聞いてくれる。
当ビルの管理人が、そうであることを願う次第である。

夜は、エパタ教会の聖書教室。また私一人だった。
これでは、絶対に休めない。大学院の授業を思い出す。
5年間いて、ほとんどの授業を一人、又は二人で受けた。
博士前期に一人やめ、後期から中途で入ってきた優秀な人が数ヶ月でドイツに留学して、結局私一人になってしまった。
だから高橋健二先生の授業もほとんど個人授業のように受けさせていただき、その後、ルイジも個人で教えて下さり、
社交ダンスはもちろんのこと、太極拳、日本舞踊、ハワイ舞踊も個人で学ぶ機会を得た。これは大きな幸せだと思う。
私は学ぶ時、常に自分の進度で学べた。人を待っている必要も、落ちこぼれることもなかった。だから、自分が教える時も、
個人指導以外はしたくない。複数で学べることなど限りがあるのだ。
平成19年7月17日(火)

朝、ツバメたちは、大声で私を呼んだ。
おかあさん、ありがとうと言っているのがよくわかった。
こんなにかわいい子供たち、新宿のこんな場所で育った子供たちは、これから、海を渡って、南へ飛ぶだけの
強い羽ができたのだろうか。
都会で獲れたる、わずかの昆虫を餌に、立派に育って、ツバメたちは、お別れを言って、飛び立った。
心にぽっかりと穴があいた。
ツバメは私に、多くを与えてくれた。教えてくれた。私を強くしてくれた。
優しくなるには、強くならないといけないことを、実感させてくれた。
あれは、ツバメの姿をした、天使だったのだろうか。
私に多くことを悟らせるために、神様が送って下さったのだと思う。
思えば、数ヶ月前から、色々な種類の鳥たちが私に接触をはかうとしていた。
結局、鳥たちは、私に伝えたかったのかもしれない、もうすぐお宅につがいのツバメが巣を造りに来るから、
子供たちが巣立ちするまで、守ってやってほしいと。
あれは、ツバメの到来を告げる、連絡だったのだと、今、わかった。
私は鳥の心を理解するから、困った時には、また来てほしい。
私に任せてほしい。
私が守ってあげるからと、鳥たちのことを想う時、その心は、神様によって、鳥たちに伝わる。

メキシコ人が到着。チチェンイツァの遺跡の話をするのは、いつも楽しい。
これほど、高度な文明を築いた人々が、地下トンネルをくぐって、アメリカへ不法入国して労働するのは
どれほど、誇りを傷つけられることだろう。
どの遺跡にも必ずあった、マヤ人式バスケット・ボールは、決して手を使ってはいけなく、腰に
ボールを当てて試合をするのだと教えてくれた。
ボールは、タイのセタパクローのように、植物を材料にするのかと訊ねると、動物の皮を貼って
つくった物だとのこと。
痛くないように、柔らかくしたのだろうか。
でも、かなりの高さまで上げないと、ゴールの輪をくぐらないから、ある程度の硬さは必要だったのだろう。
平成19年7月16日(月)

海開きの日ということだけれど、台風で、誰も海水浴に行っていないだろう。
私は朝も昼もレッスンだった。
平成19年7月15日(日)

エパタ教会の西山牧師は、8度以上熱があるのに説教をしにいらして下さったけれど、あまりに
お加減が悪かったのか、主の祈りを抜かして礼拝を進められた。
まあ、私も振付を抜かして踊ることもあるから、長い人生のうち、そういうこともあるのだと、
仕方がないと思うべきである。
平成19年7月14日(土)

テコンドーの胴衣を着た子供が、駐車場でボールで遊んでいたので、怒鳴りつける。
ツバメを脅かす人は、私が徹底的に闘う。
日本人の母親ならそういうことはさせない。
格闘技を教える道場に通わす暇があったら、生命の畏敬の念でも教えろと言いたい。
日本のツバメに危害を加えでもしたら、国際問題になるとテコンドーの母親に言いたかったけれど
子供を叱るだけで、我慢した。
動物に危害を与える可能性のあるいかなる行動も私は許さない。
平成19年7月13日(金)

台湾、中国、シンガポール、香港、どこであれ、中国人という人たちは、どうして一様に声が大きいのだろう。
声が大きいから、デリカシーが不足して、人に対して失礼な行動をとっていることになり、
人からうるさがられ、けむたがられるのだろう。
声の小さな中国人というのも、いるのだろうか。
少なくとも私は一人も知らない。
もうすぐ、私の大切なツバメが巣立つから、静かにして欲しい。
平成19年7月12日(木)

出かけなくていい日は、極力、出ないようにしたい。
日本古代史の謎がおもしろい。
今度、生まれ変わったら、神道を学びに国士舘にでも行こうかな。
平成19年7月11日(水)

ツバメの両親は、代わる代わる餌を運んで、4羽の雛を育てている。
だんだん大きくなって、巣が重みで落ちたらどうしようか、私はそれが気になって仕方ない。
親鳥が縁に覆いかぶさって、眠っている雛を守っているけれど、重さは大丈夫なのかなと思う。
農家の茅葺屋根の内側にでも巣を造れば、よく固定するだろうけれど、塗装のされたマンションの
駐車場の壁はどうなのだろう。
ともかく、無事、巣立ちをするまで、警備員としての私の仕事は尽きない。
馬鹿な仕事が来た。
黒人男性のおしりを全面的に写す。
こういう広告が目に入って、日本人は嬉しいのだろうか。
ある意味、非常に差別的な気もする。
白人のおしりを全面的に写した広告が出たら、非難ごうごう、日本人だったら、グロとか、最低とか、
その企業は、メチャクチャに評判を下げるだろう。
しかし、広告代理店の会議で、黒人のおしりで行きましょうという案が出て、それが通ったということは、
黒人の場合は、広告に露出していても不謹慎ではないと思っている証拠。
こういう広告、米国ならだめなのではないかな。よく、わからないけれど。
顔が写らないから、割り切ってモデルになる人がいるけれど、美しくないものは、見たくない。
平成19年7月10日(火)

日本テレビ「ロンキューハイランド」5回目の撮影。
今回からサンバ隊は、出雲阿国という芸人と同じ楽屋になった。
指定された衣裳を着ないといけない芸人は本当に気の毒だと思う。
私は自分のダンサーに着せる物を選べるから、とても幸せだ。
自分が美しいと思えるものしか、着せない。
着て美しく見えなかったら、衣裳ではない。
ダンサーたちもオフィス・マリカの衣裳を着るのを喜んでくれるし、楽しんでくれる。
それと引き換え、人に笑ってもらうために、わざとみっともない衣裳を着たり、下品な言葉遣いを強いられ、
それを日々行う人たちは、どれほど精神的に不健康な生活を送っていることだろう。
比較的早く終了したので、ジャン・フランソワと神楽坂にお寿司を食べに行く。
お寿司を食べられる外国人と、そうでない人との間には、計り知れない文化的な落差が
あるのを感じる。
外国で生まれ育ち、スシ・バーに行き慣れている人は、そういう場所へ足を踏み入れる
機会を持たなかった人と違うかもしれない。
勿論、例外も多くあり、全部が辺境地、低学歴、低収入、偏狭な文化的視野とは言わないけれど、
お寿司を食べる外国人の方が、本国で、そして、日本で社会的に上にいるのではないだろうか。
平成19年7月9日(月)

「夏も近づく八十八夜」の歌は、音が取れない人にとっては、大変難しいものなのだということが判明。
小さい頃から、女の子たちがやっていた、手を使った遊戯は、子供のリズム感訓練に大変役に立った。
積極的なリズムの練習になるからである。
Ipodで音楽を受動的に聴いて育つ子供より、「夏も近づく八十八夜」の歌を友達と一緒に手を使う
遊戯として遊んで育つ子供の方が、リズム感が優れた人になる。
実験をしなくても、わかる。
Ipodやウォークマンは難聴になるから、部屋できちんと音楽をかけた方がよい。
私は小学生からウォークマンをして、週末はクラブに入り浸っていた友人が、20代後半にしてすでに
老人のように難聴になってしまったのを、目の当たりにいているから、機械の音を聞くことを勧めない。
自然の音や、正しい歌唱方による声、自然楽器はを多く聞いた人は
筑土八幡下の古い酒屋のおばあさんが言うには、昭和25年にこの地に引越してきてからというもの、
一度も神楽を見たことがないとのこと。
そうか、そんな前からやめてしまっているのか。
郷土芸能は一度やめてしまうと、それを上演する人材が失われてしまうから、永遠に
歴史の中に埋没してしまう。
数十年だか、数百年経過した後、再度上演しようとしても、すでにすべて一から開始
しないといけないから、そこで、伝統的な上演方法は切られてしまうことになる。
そうならない前に、これをどうにかしないといけない。
地元の有志で上演できないのだろうか。
筑土八幡下の古い酒屋のおばあさんが言うには、昭和25年にこの地に引越してきてからというもの、
一度も神楽を見たことがないとのこと。
そうか、そんな前からやめてしまっているのか。
郷土芸能は一度やめてしまうと、それを上演する人材が失われてしまうから、永遠に
歴史の中に埋没してしまう。
数十年だか、数百年経過した後、再度上演しようとしても、すでにすべて一から開始
しないといけないから、そこで、伝統的な上演方法は切られてしまうことになる。
そうならない前に、これをどうにかしないといけない。
地元の有志で上演できないのだろうか。
平成19年7月8日(日)

エパタ教会の後、神楽坂の家へ、猫に餌をあげるために行くと、なんと体長15センチもあるつがいの大きな尾長鳥が
隣の家の赤い実を食べている。
そうか、この子たちが食べるから、上の方は赤い実がついていないのか。
こんなに近くまで来ても、逃げないで食べている。
筑土八幡に来て1年半にして、初めて見る光景。
最近、筑土八幡神社とか、この鳥とか、ここで発見することがいろいろあり、嬉しい。
やはり、ここを選んだのは正しかったのだ。
こういうかわいい子たちが安心して食べてくれる様に、私たち人間は、決して危険な殺虫剤など
使用してはいけないのだ。
お陰で、私のミカンの木は、ことごとく葉が食いちぎられ、葉の繊維しか残らず、無残な姿となってしまった。
しかし、その中で、ほんの1つでも、無事な芽があれば、そこからまた伸びていくのだから、ミカンを
守ろうとして無理に毛虫を退治するのは、本当に自分勝手なこと。
ミカンも虫も両方生かさないといけない。
蝶が多ければ、鳥も餌が豊富で喜ぶ。
私は今まで殺虫剤を使い過ぎた。
スプレーや、アリトール、団子虫用のオルトラン。
どれだけ地球に壊滅的な打撃を与えていたのだろう。

台町の駐車場のツバメの子供たちは、すくすく育っている。
親鳥が代わる代わる餌を運んでいるけれど、十分に養えるだけの量が集められるのだろうか。
私のベランダにたくさんいる、団子虫を提供したいけれど、気がついてくれただろうか。
遠慮しないで、取りに来てほしい。
平成19年7月7日(土)

朝からレッスン、そしてサンバ造り。
数ヶ月前では考えられないレベルまでサンバが改善された。
サンバを借りにいらっしゃる方には、以前、直接倉庫で待ち合わせをしたりということが多々あったが、
今は、ここで着方もご指導してからお渡しする。
大切なものだから、その方がいい。
羽根には魔力があるのだろう。
羽根が風になびき、羽根の方向に人々の目が向く。
固定したものではだめで、重いものもだめ。
軽くて、動くものだから、その瞬間ごとに表情を変え、二度と同じ状態にはならない。
常に変化しているものだから、美しいのだろう。
反対に、変化していない、固定したものは美しくないということになる。

さて、古代日本人は海賊だったようで、朝鮮半島を何度も襲撃したらしい。
「紀元前48年という年は、日本と朝鮮関係について、歴史的事実を、はじめて明確に残した都市である。
その年に日本の海賊は、朝鮮への侵攻をやめた」(H B ハルベルト著朝鮮の歴史より)という一説が
アイデルバークの「大和民族はユダヤ人だった」に出て来て、「紀元前48年には、日本人はすでに
朝鮮襲撃に海賊を遅れるほど定着していたものと思われる」と結んでいる。
したがって、北九州から、朝鮮半島へ行くための船を造ることは、さほど難しいことではなかったのかも
しれない。
しかし、これは、土着民であったアイヌがやった行動ではないから、イスラエル10部族がやったのか。
猛烈におもしろくなってきた。
平成19年7月6日(金)

バゲットはフランスではなく、オーストリアのものだということが判明したそうだ。
オーストリア人として大変嬉しい。
私は、その国があまりにも好きなあまり、時としてオーストリア人が乗り移って、その気持ちになってしまう。
ドイツやリヒテンシュタインにもそういう気持ちを抱くことがある。
フランスはなにかと、自国の文化的優位を誇ろうとするけれど、かつてのフランス植民地が現在でも
世界の最貧国であるのを見るにつけ、歴史上ろくなことをしてこなかった国だということは一目瞭然。
フランスがやったくらいのことは、ハプスブルクがとっくにやっているし、殺人鬼のナポレオンが攻めてくる、
おお、こわ!くらいにしか思われていなかったから、オーストリアの方が上なのだと思う。
その証拠に、フランスにはモーツアルトに匹敵するような音楽家がいない。女帝がいない。
現在のオーストリアは本当に小国になってしまい、私としては無念である。
かつてのヨーロッパの地図の上に、大々的に領土を広げたハプスブルク帝国の、堂々たること。
女帝がいたから、あの繊細さと洗練が可能だった。
軍人が支配したら、ああは、ならなかった。
私は自分の青春の心の時間の多くを、オーストリアに捧げた。
だから、オーストリアの栄光は私の喜び。
皇帝陛下万歳と言いたいけれど、こう思っているハンガリー人とか多いのだろうな。
オーストリアにはもうあまりいないかもしれないけれど。
バゲットはしかし、ドイツ語でなんと言うのだろう。
ドイツではみんなバゲットと言っている。
長いパンとでも呼ぶようになるのだろうか。


最近、神社と見るとすぐに中へ引き込まれるように入ってしまう。
通常の神社は狛犬と獅子だが、今日のは稲荷大明神なので狐だ。
赤い鳥居を何重にもすることで、神秘的な感じと、遠近感を出しているのだろう。
鳥居をひとつくぐるごとに、催眠術にかける働きがあると知って、このようなつくりにしたのだろう。
最初は広い敷地だったろうに、その半分を町内自治会館など建ててしまったから、気の毒なこの神社は
手を洗うところはもとより、お賽銭箱さえない。
どうやって参拝客から集金するのだろう。
見ると、申しわけ程度に、拝殿の前に5円玉が一枚置いてあったので、私も5円を隣に置いた。
こんなに商売気のない稲荷大明神だけど、未来永劫、存続してほしい。
平成19年7月5日(木)

万歳!冬季オリンピックがロシアの黒海のソチになった。
最初の夫はそこでよく海水浴をしたと行っていた。
そんな温暖な場所で冬季大会ができるのだろうか。
もしかして、これは冬季ではなく、夏のオリンピックのことだったのだろうか。
急に確かでなくなってしまった。
ザルツブルクならロシア以上に賛成だけれど、あそこはすでにインスブルックをしているから、
ザルツは難しいかなと思っていた。
韓国になったら、どうしようと心配していただけに、ほっと肩の荷が下りて、本当に良かった。


やはり、筑土八幡神社の裏口から入っていたことに気がつく。
2度とも夜行ったため、向こうの方まで見えなかった。
昼間行くと、年代物の神輿を入れた場所や、長い間使われていないことがよくわかる神楽の舞台まである。
これは、かなり大きな神社だったようだ。過去形にしたのは、今は閑散としているということ。
非常に立派な鳥居が急な階段に建っていて、そこから登って、初めて参拝できるのである。
拝殿裏の駐車場に、何とか町などの自治会所有のお神輿が入っている倉庫があるが、いかにも、倉庫で
赤城神社にあるような、神輿入れ自体が、神輿のというか神社の拝殿のような建築になっている
文化的な物ではなく、物置と行った感じが、もったいない。
しかし、赤城神社は、地の利がいいから、多くの参拝客や、幼稚園や、神前結婚式、駐車場経営などで、
潤っているのだろう。
そこを出入りする人の多さでわかる。
それにひきかえ筑土八幡神社は、いわば、神楽坂で一番標高が高い場所にあるため、1年半も
そこに家を借りている私でさえ、気がつかなかった。
正面の入り口は、神楽坂の中心部からはずれているため、そこまで足を伸ばす人はいないだろうし、
まして、私が最初の2回探索に行った裏の急な坂道は、近所の住民しか使わないような細い道だから、
一般の人はまず来ないだろう。
神楽の舞台があるということは、往年にはそこで、多くの観客の前で神楽が奉納されたのだろう。
説明書きを読むと、新宿区で一番古い鳥居だということ。
鳥居の横に、絶対に子供が遊ばないだろうなと思われるような、とってつけたような児童遊園がある。
神社の参道と平行してつくった、こんな急勾配の遊具、どうやってよじ登るのだろう。
登ったと思ったら、ざーと下へ滑って、砂場へ落ちるという代物。
わざわざ作ったのに、文句を言うのも忍びないけれど、これ撤去して、樹木でも植えて、地球温暖化
対策に協力した方がいい。
全国の八幡神社は、7817もあるそうで、ここは、そのうちのひとつということになる。
祀られているのは、応神天皇。全国の神社で応神天皇でない人を祀った神社はほとんどないそうだが、
これもユダヤ人がある時期、政治的意図を持って一気に全国の神社を造ったからと、解釈できる。
応神天皇は何語を話したのだろうか。
古代ヘブライ語だろうか。
当時の日本の言語はどのようになっていたのだろう。
フランス人に踊りのお稽古をしたけれど、「間」や「呼吸」がないから、どんどん自分勝手に先に行こうとして、
本来の拍子を失ってしまう。大分良くなったけれど、まだまだ、音を走る。20代だから踊りが若い。
つまりそれは、音取りが早いということ。
私も20代の頃は、もしかしたら、音を走っていたのかもしれない。ジャズをして、間とか呼吸がわかってよかった。
ジャズに出会わなかったら私はどんな音の取り方をしていたのだろうか。
平成19年7月4日(水)

自転車で霧雨の外濠通りを走ると気持ちがいい。
スクーターだと、左側を走っているから、外堀が見えない。
帰りも、車道を走っているから、水が見えない。
自転車の速度は景色を楽しむのに実に都合がいい。
孫のむっちゃんに、クチボソを釣ってくると約束したから、さあ、頑張って釣るぞと、気合を入れて
外濠の土手に座って釣り糸を垂らしていた祖父の姿を思い描きながら、飯田橋へ。
モデルを連れて撮影スタジオへ。
やはりカリスマのあるモデルはすごい。
こういうものは、習うものではなくて、神様からの贈り物だから、誰もが持っているわけではない。
いつも多くの人々を見ているけれど、たまにしか出会わない。
アンナさんは、本当に素晴らしい。
見るたびにどんどん良くなっていく。
数ヶ月前にも素敵だったけれど、今はもっとかっこいい。
大抵の人は、暗く、湿っていて、精気がないか、目がずるかったり、貧乏臭かったり、顔の奥に
わだかまりがあったり、太陽光線から完全に無視されているか、薄っぺらだったり、崩れそうで、
本来の美に近づこうとする意識がなく、自然にまかせているから、どんどん汚くなっていく。
ほんのわずかの人だけが、美の法則に気づいて向上しているのだろう。
だから、きれいな人は益々きれいになり、反対の人はどんどんレベルを低下させていくから、差が
広がることはあっても、縮まることはない。
美は選ばれた人だけが手にできる財産だからこそ、価値がある。
自然の産物は、すべて神様に選ばれたものだから、全部が完璧で美しい。
撮影の後、すぐに聖書教室に行ったから、今日は自分で教えられなかった。
教会の帰り、神楽坂の家の前を行きかう猫の親子に、ヒラメのアラの差し入れをしてきたが、雨が降って
いたので、姿が見えなかった。
さて、昨夜に引き続き、筑土八幡神社に上がって行く。
赤い建物が夜の闇に浮き出て怖い。
ぐるっと向きを変えて、また、坂道を下って帰った。
それにしても、ここらへんで一番土地の標高が高いのが、筑土八幡神社。
やはり、古代の渡来ユダヤ人たちは、日本の多くの地形の高台や山に神社を建て、そこから
分社して、結局日本中ほとんどすべての高台はあっという間に、神社で埋め尽くされたのだろう。
急な坂や階段があったら、そこには、間違いなく神社がある。
しかも、それは、永遠に残るのだ。
一体、誰がどうやって管轄しているのだろう。
平成19年7月3日(火)

ヨセフ・アイデルバークの「ヤマト民族はユダヤ人だった」を読むと、外国人が書いた古代日本史だから
おもしろい。
しかし、ユダヤ人がこういう内容を言うと、日本を乗っ取ろうとしているのではないか、そのうち、
大挙してユダヤ人が世界各地からやってきて、日本に亡命申請をするのではないか、日本の
各地にシナゴクができるのではないか、日本政府が古代天皇ユダヤ人宣言をして、世界中を
びっくりさせるのではないか、いろいろなことを考えてしまい、単なる古代史としては読めない。
夜、ゴムノキや赤いゼラニウムを筑土八幡に植えるために出かける時、野良猫への差し入れ用
缶詰も持って行く。
余計増えてきりがなくなるけれど、お腹をすかせ、食べ物を捜すことのみで生活の時間のすべてを
使っているかわいそうな猫たちのことを無視できない。
地図で見ると、筑土八幡町の大部分を筑土八幡神社が占めている。
これまで1年半筑土八幡にいながら、神社を見たことがなかった。
良い機会だからと、神社を捜す。
なんと、坂を上がりきったところに、忽然として、朱塗りの大きな神社が浮き上がった。
シュールな感じというより、怖いくらいだ。
神社の周りには、民家が建っていたけれど、神社の前は、広い敷地があり、昔は、正面から上がって
行ったのではないだろうか。
社務舎に明りが見える。
神社が自分の家という人がいるのだ。
私はここの神社の真ん前に引越してもいい。
古代ここは、多くの大木が茂っていたことだろう。
無数の民家よ、消えてなくなれ、1500年前に戻れ、と心の中でつぶやく。
もし、本当にそうなってしまったら、私はどうしよう。
スクーターをユーターンさせて、急いで下界に降りて行った。
平成19年7月2日(月)

朝、雨に煙る東京監獄刑死者慰霊碑塔に再度行ってみると、東京監獄と市谷刑務所という字の間が
微妙に開いている。
ひとつの長い名称なのではなく、ふたつの名称なのか。
ということは、刑務所がふたつあったのだろうか。
間に中黒が入っていないので、不明確だ。
永井荷風はあのあたりに住んでいて、日記文学の最高峰「断腸亭日乗」で、幸徳秋水らが絞首刑に処せられた
旨の記述があり、その絞首台の跡に立てられた、「刑死者慰霊碑」から百メートル以内に住んでいた
というから、興味深い。明治42年(1909)「監獄署の裏」出版。
怨念の場所なのだ。
次回行く時は、花でも持っていこうかな。
鉢植えだと枯れるから、傍に勝手にクンシランを植えてこよう。
毎年3月にはきれいなオレンジ色の花を咲かせ、死者の魂を癒すはずだ。
私の園芸は、社会的園芸の域に達している。
市ヶ谷刑務所についてこんなものを見つけた。

さて、数日間見られなかったテレビが、電気屋さんが来たら1分で見えるようになった。
上の階の衛星放送も、あっという間に直っている。
コンセントが正しく差さっていなかったとは。
最後に見た日に、パウエルがラリー・キングに出ていて、「世界最悪の政権」を倒したと豪語していたけれど、
あれ、ブッシュはまだホワイトハウスにいるし、蛇の目つきのプーチンは益々活躍、ジョンイルや中国も健在、
とすると、この人は一帯どこの政権の話をしていたのだろう。私が思うに、世界最悪というのは、アレキサンダーのマケドニア、チンギスハンのモンゴル、ボナパルトのフランスそして、ロシア、合衆国、中国のことだと思う。
はじめの3者はすでに骨抜きされているから、問題ないとしても、あとの3つ。
パウエルさん、これどうにかして下さいよ、全部倒して下さって構いません、どうぞ。

神楽坂の2階の天井に和風の照明をつける。
インテリアは終わりがない。
アウグスト2世のように、マイセン焼きを輸出して国庫を太らせ、宮殿を飾る費用を捻出する、
ルードヴィッヒ2世のように、ビスマルクからもらったお金を全部築城に出費する、
それくらいのことをしないと、すごくかっこいいインテリアにはならない。
私のやっていることは、自分のできる範囲だから、ペースが遅い。
神楽坂の家を武家屋敷みたいにしてしまいたいものだ。
平成19年7月1日(日)

エパタ教会の庭の端に植えた連翹が大きくなっているのを嬉しく思う。
葉の大きさも違うし、新芽が若い枝となって天に向かっている。
それと同じ場所で買った、同じ大きさだったもう一鉢の連翹はというと、ここのベランダにいる。
毎朝晩私から水をもらっているというのに、限られた植木鉢だから、これ以上にはならない。
思い切り根を伸ばして、自分に必要なものをなんで吸収できる環境と、限られたところに隔離されている
環境との差は、わずか2ヶ月にして、こうも顕著だとは。
午後のレッスンのあと、エルマンと神楽坂でお寿司。
5時半だったのにすでに10名も並んでいる。
ここの回転寿司は本当に人気が高い。
他にもこのくらいのものが近くにあれば、そちらへ行くのだけれど、生憎、ここしかない。
エルマンは本当に、久々に見るさわやかなドイツ人。
現代人だから法律関係をやっているのだけれど、これがゲルマン神話の世界なら、心優しい
ジークフリートか。
ヴォータン型ではない。
さて、事情で、富久町をそぞろ歩きすることになり、はっと、気がついたことがあった。
そうか、そういくことだったのか。
どうして、富久町一体は、どうしようもない民家の集合体(集合住宅ではない)がある一帯があり、やれ
大蔵省旧職員宿舎や小石川高校など、公の施設があるのか、判明した。
私は、大蔵省宿舎と小石川高校のところに、刑務所があったのだと思っていた。
ところが、それは、実は、新宿区富久公園にまで広がる一帯だったと納得。
大変しけた遊戯具がぽつんとある変な児童公園を発見し、裏から入る。
横の60平米くらいの土地は、なぜか、ドクダミが一面に生い茂っていて、何年にも渡って何にも
使用していないが、しかし、コンクリートを打った、売りに出ているさら地とは違う。
ドクダミの栽培をしているわけでもないだろうが、ともかく、夕暮れ時に、目の前に急に広がる
ドクダミの海原は、大変シュールなものである。
しかも、その隣の民家は、文字通り、お化け屋敷と化して、ひどく破損したまま放置されている。
こんなに時価が高い土地をどうして、このように遊ばせておくのだろう。
持ち主は公の機関に決まっている。
少し行くと、滑り台がある。
数段、下がるとまた、遊園具がある。
砂場の先をふと曲がったところに、さらに遊園具がある。
付け足したような、この配置、不規則な敷地は一帯なんなのだろう。
行き止まりだらけのまわりの路地の数々、ここは何区かと目を見張るばかりの、放置された地形。
そうか、刑務所の敷地を、少し、また少しと、民間に払い下げたのではないだろうか。
本当は、ここら辺一帯に、広大な土地の刑務所があったに違いない。
外務省宿舎もすでに無人のお化け屋敷になってから、10年は経過しているだろうか。
気持ち悪くて誰も近づかず、老朽化した宿舎は放置され、広大な土地が無意味に時間を刻む。
こすい不動産業者ならのどから手が出るほど欲しい敷地面積だろう。
しかし、ここには、ブランド・マンションは建てられないのだ。
理由はこうだ。
刑死慰霊塔なるものを偶然見つけた。
東京監獄市谷刑務所、昭和39年7月15日、日本弁護士連合会と書いてある。
刑死ということは、首吊り刑か、電気椅子か、拷問死か、毒殺か、大日本帝国時代の刑務所だから
なにが行われたか知れたものではない。
明治時代の地図に載っていたこの刑務所は、昭和のそんな時代まであったのか。
最後の囚人はいつまでいたのだろう。
建物は文句なく、東京大空襲で焼けたに違いない。
富久のおどろおどろした雰囲気は、こういうことが原因なのだろう。
お金があれば、あのどくだみの大海原と、隣の木造のボロ家を買い取り、雑木林をつくりたい。
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