えぱた教会        ルーテル教会 えぱたの礼拝連絡先

みんなが岩の上にいるけれど、箱根の
大涌谷へでも遠足に行ったのだろうか。
この時代だからだろうけれど、みんな
スカートを履いているから、そのような格好で
歩ける程度の山だったのだろう。
びっくりするのは、当時は、たくさん人がいて
あちこちへ楽しく遠出をしていたようなのだ。
いつまでそのような活動をしていたのだろうか。
見ると、みんな祖母より若い。
その方たちは一体、どうなってしまったのだろう。

クレーマー女史は立派な方。
多くの日本人に洗礼を
授けられた。
神様がクレーマー女史を
とうしてなにをなさりたいかを
理解するために、神様の
お声に耳を傾けていた。
私たちも見習わないといけない。
左から大前静、クレーマー女史、不明、
石田牧師夫人、一番右が石田牧師
 平成23年3月8日 火曜

ルーテル教会の帰りに神楽坂へ寄ったりする日には、えぱた教会の前を通る。
戦争で前の教会堂が全焼した時もしっかり立って歴史を見つめてきた、あの堂々とした木々が
すべて切り倒されていた。
あの木があることで、夏の暑い盛りでも直射日光を遮り、根が地下水を集めて、木が生命活動をし、
えぱたの空気を清く保ち、根元にはカエルさんたちが住み、東京のど真ん中とは言えないような
のどかな光景をつくりだしていた、あの木を切ったなんて、犯罪にも等しい。
長く生きてきた大切な生命を無残に切り倒すことのできる人は並みの神経や常識を持った人間ではない。
そのような人に教会運営は無理だろう。
心が殺伐としているから、やることも悪魔的で、悪い方向へとすべてを導く。
だから誰もえぱたへ行かない。
善人は悪人を瞬時に嗅ぎ分け、避ける本能を持っているからだ。
えぱたは、かつて素晴らしかったし、クレイマー女史の働きは、言葉では尽くせないほど偉大だった。
ライシャワーご一家も日本に多くの愛を残して下さった。
今は亡きその方たちは、現在のえぱたの状態を天国からご覧になって、ひどく悲しんでいるだろう。
そしてえぱたの悲惨な現状を悲しんでいるうちの一人に大前静がいる。
平成22年4月19日 月曜

「形があるところから作り直すのは大変でしょう
荒れた庭を見る勇気がわきません
心の部分では 未だに色々な物を引きずったままです」
というメッセージが今朝届いた。
以前エパタにおいでになられていた方から。
私が2週続けてエパタへ行ったことを何人かの方にご連絡した。
そうか、以前ここで礼拝に参加していた方々というのは、その時の楽しかった思い出を壊したくないから、
現在のエパタの落ちぶれた様を見たくないのだ。
エパタが大好きで、そこで集った楽しい思い出があるからこそ、決して足を踏み入れない。
それで、20数人、幽霊会員がいても、誰ひとり現在の礼拝に来ない。
いくら印刷物を送ろうが、待とうが、その人たちはエパタがきれいになるまでは、もう決して来ないから、
毎月送付しても、うるさがられるだけだろう。
現在手元にある資金できれいにしないので、寄付金を募っても、おざなりにわずかな人が、エパタへ
足を踏み入れない代わりに支払うだけで、誰もエパタに集うメンバーにはなってくれない。
以前会長さんは、自分は毎週行かれない名前だけの会長だから、どうぞ、毎週来ている人が
中心になって水回りの工事でもなんでもやって下さいと言って下さったのに、
結局西山牧師が最終ゴーサインを出さなかったことから、私が教会をやめて、
その後ボロボロと誰もいなくなり、凋落の一途を辿った。
会堂にネズミがいて、トイレが不潔な限り、誰も来ない。
それがわからず1年間礼拝を続けても、礼拝以前にやるべきことがあるのを理解していなければ、
なにもならない。ゴミ屋敷症候群の人を何人か知っているけれど、これは不治の病だから、治せない。
平成22年4月18日 日曜

ルーテル教会の後、えぱたの前を通ったら、ゴミ箱の蓋から透明のビニールがわずかに見えていた。
もしや、私が先日ゴミ箱の中を片付けて、ひとつひとつ、ビニール袋に入れて、
燃えるものと不燃物を種分けして
これを車でお持ち帰り下さいとお願いしたのに、車が汚れるからと持ちかえらず、結局また、
ゴミ箱の中へ全部戻して、その上にビニールのゴミ袋を一枚かけたのではないかと気になる。
そうでないことを、つとに祈る。
食べ物などのゴミを衣類と一緒にして長らく入れておいたから、ひどい状態になっていたのを
せっかく中をすべてきれいにしたのに、これでは元の黙阿弥。
平成22年4月13日 火曜

神様は清潔できれいなところにしか宿らないから、神様の前に立つ時は必ず、自分を清潔にする。
場所を清める。汚いところに、神様はおいでにならないからだ。
エパタがすたれた理由は、きれいにしなかったからで、具体的にはネズミを放置したからだろう。
そして、エパタが再建できない理由もそこにある。
汚いところや、汚い人は、人や世の中から避けられるのだ。
神様が宿る人は、だから、心もきれいで、格好もきれいにして、きれいな所にいる。
ネズミは汚いから、汚い場所にいても平気、しかもその場所をもっと汚くする。
そうか、善のスパイラルと、悪のスパイラルというのは、そういうことだったのだ。
平成22年4月12日 月曜

万歳、雨が降った!
これこそ、神様のなせる技。
私は昨日、お庭に水を撒くための、以前使用していたホースが見当たらなかったので、購入するように
お願いしたら、庭のことなど重要でないからと、断られてしまった。
神様のお庭の木々は、この雨がどれだけ欲しかったことか。
雨を降らせたのは、神様がお庭を愛している証拠。
ありがとうございます。
平成22年4月11日 日曜

復活祭の日は着物だったので、清掃するわけにもいかず、えぱたのあまりの汚さに目をつぶって
帰ってきたが、今日は汚れてもいい恰好で行った。ルーマニア人のオクサナを連れて行く。
毎週牧師が変わる礼拝は出ても仕方がないから出ないで、私は例の禁断のゴミ箱を空けて、
中をすべて掃除。
ゴミにまみれて、森越氏の銀行通帳があり、氏のその他の物(新宿区立図書館の本など)と一緒に、
近くの神楽坂交番へ届ける。
1年間も礼拝をするために毎週来ている3名の方は、どうして、ゴミ箱の掃除くらいやらなかったののだろう。
一番汚い場所をきれいにすると、ツキが来るのに。
貯金通帳のような大切なものがあるのに、清掃をしないものだから、気がつかなかったのだ。
当時せっかく植えて、今でも神様のお陰で元気なゼラニウムが植わっているプランターが無残に
倒されている。
車は戦車や装甲車ではないのだから、目の前にプランターがあり、花が植わっていたら、倒したりせず、
車から降りて、安全なところに手で移動してすることだってできたはず。
そのゼラニウムは私が運び、当時ピンクの花を咲かせていた。
倒された後も神様のお陰で、しっかり根を張っている。
強いから美しい。
その装甲車車は今度は、私のバイクにぶつけて、傷をつけた。
愛や注意や気遣いがあれば避けられたのに。
そして、この庭をコンクリートで固めて駐車場にすると言っていた。
それは、神様が一番望まないこと。
クレイマー先生や、石田先生や、祖母はどれだけ悲しむだろうと思い、私は涙が出てきた。
ガマさんが歩く、かわいらしい姿や(石田先生のお嬢さんのるつ子さんは、ガマさんのお庭が好きだと
言っていた)、この庭の四季の花の美しさを見たことがないから、
そういう発想があるのかと思ったけれど、1年間来ているのなら、当然見たはず。
でも、目の前にピンクの花をつけたかわいらしい花があっても、後ろにホンダの原付バイクがあっても、
そこのけそこのけと戦場の戦車さながらに車を走らせて、見えないからぶつけたのと同じように、
自然に対する愛がないと、自然の美しさは見えない。
駐車場をつくるのに邪魔な障害物程度にしか映らない。
多くの人に、礼拝への参加や、寄付金を呼び掛ける郵便物を送ったところで、清掃をしないので、
教会は荒れ放題、前よりも数段ひどくなっている。
50年間に渡って集めてきた修繕費500万円を使えばきれいになるのに、なぜ、前よりひどくなっているのか。
そのお金はどうなっているのだろう。
私の貧者の一灯も含まれている。
西山先生の名前が書かれたプレートは、土の上に無残に放り投げてあったので、私が拾って、
丁重に処理するようにお願いした。
これは、西山先生に頼まれて私が大久保一丁目の表札屋「宝建章」でつくったもの。
なつかしいな、あの頃。地の色や字の大きさなどを礼拝後相談した。
短期で解任されたとはいえ、仮にもここで牧師をやっていた先生のお名前が書かれたプレートを
地面に捨てるのは失礼なこと。
私はえぱたのお庭が大好きだから、神様のお手伝いしたかったのだけれど、コンクリートにするのなら、
ここにある、すべての生命は死んでしまう。ガマもヤモリも、尾長鳥も、ミミズもすべての植物も。
ここには、半世紀の間に出来上がった生態系がある。
それがこの庭を美しくしている。
世の中には二種類の人しかいない。
自然や生命を守りたい人と、それらを殺したい人。
前者が多ければ、世界は確実に良くなる。
えぱたの自然が、駐車場案にどのくらい悲しんでいるか、ひしひしと感じた。
人間は神様から地球の自然の世話を任されている管理人だから、神様からいただいた自然を世話し、
残さないといけない。
愛がないと、教会はやっていかれない。
1年経ってまだ最初の3人のままなのには理由がある。
ちゃんとした教会なら、私はいくらでもお友達を連れて行くのに。
ルーテルには通算数十人の人を連れて行った。
プロテスタントのキリスト教徒だけでなく、カトリックや聖教、仏教や無神論、イスラム教徒まで、
礼拝に参加させ、楽しい昼食を共にした。
現在のエパタは、人がたくさん来ることが目的ではないなんて、負け惜しみみたいなことを言っていた。
多くの人に喜んで(義務ではなく)いらしていただくことが、まず、大切なのではないかと私は思う。
復活祭に私と母以外に1家族しか来ていなかったことで、どれくらい人がここに来たいと思っていないかが
よくわかる。
27名幽霊会員がいるそうだ。
組織はアクティブな会員がどれだけいるかが大切。
何人の名前が登録されているかよりも。
私の尊敬するクレイマー先生の愛したエパタがこのようになって、とても悲しい。
平成22年4月8日 木曜

信じられないことが起きた。
フェリシア・ライシャワー嬢が、おリボンをつけて真中で
微笑んでいる、まわりには、何十人という
聾唖学校の生徒がいる、そして、一番後ろの右には、
祖母がいて、嬉しそうにフェリシア嬢を見ている。
そうか、あの時代、ライシャワー牧師は、みんなを集めて
クリスマス会を盛大に行っていたのだ。
祖母が天使と呼んでいたフェリシア嬢は、本当に美しい。
この方が持って来て下さった口話法がどれだけ多くの人々に
愛をもたらせたことだろうか。
私は自分のできる方法で、フェリシア嬢の功績を
世の中に伝えたい。
奇跡のような写真が見つかったことは偶然ではない。
私が再びえぱた教会について書き始めたことを、神様が、
よく戻ってきましたとおっしゃって下さっているのだろうと
理解する。


昭和11年12月21日日本聾唖学校
クリスマスの日。明治学院内会堂。
 平成22年4月7日 水曜

えぱた教会にまず入れなければならない業者は、水回り。
ということは、資材をトイレ前のゴミ箱のあるあたりに積み上げるから、
あそこらへんは、もう、アロエなどを植えたりしてはいけない。
アロエは連翹のそばにあるから、それで十分かもしれない。
足りなければ、神楽坂の庭から持ってくる。
以前、えぱたのお庭に、薬王寺の屋上から持って行ったグレープフルーツを
高橋さんに穴を掘って植えていただいた。
植木鉢と違って、どんどん根を張って大きくなった。
本当に神様のお庭は素晴らしい。
育つための栄養が地面の中にすでにある。
まあ、肥料をやったこともよかったのだけれど。
肥料はあの当時、ステビア肥料を何袋が注文しておいたから、誰も使用していなければ
まだたくさん残っているはず。
昨日、ドイツ人から花の種をいただいたから、これを植えようか。
カラカラの夏に全滅するのが恐ろしい。
木なら枯れないけれど、花は根が浅いから、簡単に枯れてしまう。
人間も同じ。
 
平成22年4月6日 火曜

母がえぱた教会にめがねを忘れてきたかもしれないと言う。
ったくもう。行く先々で眼鏡を忘れるのだから。
うちに来た時も忘れて行った。
私が思うに、眼鏡を取りに、もう一度えぱた教会へ足を
運びなさいと神様がおっしゃっているのだろう。
先日、ルーテル教会の復活祭のお祝いの席で
帰りたい、途中で帰ると言い続ける母をなだめて、
なんとか最後までいさせて、その後、成り行きで
無理やりタクシーの中へ押し込んで、市ヶ谷から
牛込までのわずかな距離を、まるで誘拐するようにして
母をえぱた教会へ連れて行った。
帰りたいと隣で言われるのが嫌だったから、私は反対側に
座り、私語ができないようにした。
母にえぱたへ眼鏡を取りに行って欲しい。

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